見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの見つけたとき、それを作品にしたり、思わずなにかの形にして人に伝えたくなります。 見つけたとき感じたしあわせ感覚がひとしずくでも誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

2007/11/24

ミュージシャンがプレスに


◇デイヴィッド・バーン、「ロックの執筆」に「一石(ロック)」を投ずる
これはハリウッドを無能にしている脚本家のストライキとはまったく関係がないとはいえ、音楽ライターになるため、自らの全盛時代の職務を一時的にサボっているミュージシャンの最近の流入に注目するのはおもしろい。適例:ワイアード誌の近日号の仕事で、先週レディオヘッドのトム・ヨークにインタヴューするため英国に行ったトーキングヘッズのデイヴィッド・バーン(レディオヘッドは彼らの名前をトーキングヘッズの「トゥルーストーリーズ」の曲からいただいたのだから、ことのほかこの着想には納得する)。他にも、ニルヴァーナのベーシスト、クリス・ノヴォセリック、彼はシアトルウィークリー誌に執筆を始めたところだ。彼はもっぱら政治と執筆活動に専念している。ニルヴァーナを前進させたヒット曲「Smells Like Teen Spirit」について詳細に語る一方で、ノヴォセリックの興味がいまも大いに政治の執筆であるのは明らかだ。ボクらがなんでああ考えたか?「世間一般の政治の考え方は3本脚のスツールみたいなものだ。ひとつが反動的な保守主義、もうひとつが反動的な進歩主義、そして3本目の無関心。この3本脚すべてが一点に集中した政府、経済構造の中にぴったりはまりこむ。」さしあたり、ブログRock Dailyでのわれわれの仕事を追い詰めているが、「Of Grunge and Government: この破綻したデモクラシーを直そうぜ!」を書いたノヴォセリックらしく思えない、ナショナルアフェア(国内事件)担当リポーターのほうが君にはうるさい存在だ。
(Rolling Stone 12 November 2007)

デイヴィッド・バーンのブログ、「davidbyrnejournal」はアートから政治までいろいろ多義にわたり、彼の感性はもちろんのこと、ものごとに対する考え方を微妙に知るのにベストです。おまけにニューヨークに住んだことのある人間には、移動するときの空気や臭いなどといった、より濃厚な読み方ができるはずです。
たとえば、こんな感じーー。
◇BAMにスフィアン・スティーヴンス(「アメリカ50州シリーズ」のアルバムで知られるアメリカのシンガー・ソングライター)を見に行った。前半は「The BQE」という新しい「映画組曲」。さまざまな楽器がややロマンティックな映画のサントラとフィリップ・グラスの映画(同時に3台のヴィデオが流れている)を呼びさました。でもそれはどうでもいいことだ。趣のあるセレブレーションはとても創意に富むもので、とっぴ(風変わり)で、ときに純粋に情のこもったものだった。
ライヴとスクリーンの両方で、クルマのホイールとコニーアイランドの乗物と夜の花火と往来で並列されたフラフープの算入は、まるっきり頭がおかしくて、みごとだった。
後半は膨張した管弦楽に編成されたいわばグレイテストヒット曲だった。本質的に、短いとはいえ、上出来だった彼の最新のツアーでやったショーに似ている。
◇04 November 2007 ロックアイランド
ロングアイランドまでバイクで行きたかったが、クイーンズボローの自転車レーンは閉鎖された(ハンディのある人たち用だと連中は言ったが、完ぺきにあいていた)。代わりにルーズベルトアイランドのトラムに乗って、見捨てられた精神病院まで運ばれた。周りには誰もいなかった。ルーズベルトアイランドの先端から眺める国連ビルはすばらしいし、岩の多い島は鵜(う)でいっぱいだった。ニューヨークシティのちょっと変わった光景。
◇03 November 2007 今日はニューヨークマラソンだった。
ボクたちはすてきなカフェ、ハンターズポイントでスナックを食べ、外のマラソン走者に手渡されていた紙コップとティッシュの山を清掃クルーらが拾い上げるのをじっと見た。ストリートはゲータレード(スポーツ飲料)とロゴの入った鮮やかな黄色で線が引かれた。まるでマラソン走者がおしっこをちびったように見えた。あがいている数人がびっこを引いて歩いていた、マラソンでどん尻の人を見る特権でも与えられているんだろうかと思った。まっ先にやってくる人より見るのはまれなことで一般に確認させるのはずっと難しい。その人は数日前に剃った坊主頭をマルチカラーで覆っていた男だったと思う、彼はストリートを苦労して進むときタバコを吸っていたかもしれない、そしてカーブに向かってわずかにかしいでいた。

写真は音楽ライターとブロガーとして忙しいデイヴィッド・バーンです。