見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの見つけたとき、それを作品にしたり、思わずなにかの形にして人に伝えたくなります。 見つけたとき感じたしあわせ感覚がひとしずくでも誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

2008/03/22

アントニオ・ネグリ 日本に大きな失望


7月の洞爺湖サミットに向けて日本の入国管理局が一段と引き締めを行ってきています。反グローバリズムの活動家ばかりか、国際文化会館が招聘して東大など3つの大学で講演する予定だった「帝国」の著者も何癖を着けられ断念を余儀なくされました。日本は、こういった世界市民が入れない国なんです。
以下ニュースからーー。

◇札幌入管 ドイツ人活動家の入国拒否 
7月の北海道洞爺湖サミット開催地を視察するため、小樽港から入国しようとした反グローバリズム活動家のドイツ人男性を札幌入国管理局が「上陸条件不適合」と認定し、入国を拒否したことがわかった。サミットに備え、厳格に審査した可能性がある。男性は13日、乗ってきた貨物船内から日本の弁護士を通じ、出入国管理法に基づく異議を札幌入管局長に申し出た。
男性は37歳のマーティン・クラマー氏。札幌市内に住むクラマー氏の知人によると、クラマー氏は欧州からシベリア鉄道を使ってロシア・サハリン州入り。コルサコフ港を7日出港した貨物船の「旅客枠」に乗り込み、小樽港に10日に着いた。
サミット開催地の視察を兼ね、観光目的で90日間滞在する予定だったが、札幌入管小樽港出張所の入国審査で(1)所持金が少ない(2)帰国手段便の切符を持っていない--など不審点が指摘された。
出入国管理法では本人が入国後の行動などを説明する義務がある。クラマー氏は明確に回答せず、「入国目的が虚偽の疑いがある」として入国を拒否されたという。同出張所は「個別事案にはコメントできない」としている。
知人によると、クラマー氏は昨年6月、ドイツでのハイリゲンダム・サミット(G8)の会場付近でG8に反対する抗議活動を展開。ロシアでは政府の秘密文書や過激派の機関誌を所持していたなどとして当局に身柄を拘束されていたという。
船は14日午後5時に出港する予定で、弁護士側はそれまでの判断を求めている。クラマー氏は弁護士に「ロシアに戻るのは恐ろしい。人道的に問題がある」と話したという。知人は「彼はテロリストではない。表現の自由の範囲内で(反グローバリズムの)活動をしている。人に危害を加えるようなことはしない。ロシアに戻すのは問題がある」と話している。
警備当局の関係者は「サミットを控え、どのような人物であっても注意が必要だ。海外から入国する動きが今後活発化するかもしれない」と語った。
(毎日新聞北海道版 2008年3月14日)

◇世界的に反響を呼んだ「帝国」の著者の一人でイタリア人哲学者のアントニオ・ネグリ氏(74歳)が日本政府から入国できない可能性を示され、来日を延期したことが19日、わかった。
ネグリ氏は、財団法人国際文化会館の招きで20日に来日し、約2週間の滞在中に東大など3大学で、グローバル化時代の労働問題などをテーマに講演する予定だった。
同会館によると、17日、外務省から7月の洞爺湖サミットを控えて入国管理が厳しくなっており、ビザを申請するよう説明を受けた。同氏は在住するパリの日本大使館に18日、ビザを申請したが、発給待ちの状態が続いている。
同氏は79年に反政府組織「赤い旅団」による元首相殺害事件への関与の疑いで逮捕されたあと、83年にフランスへ亡命。殺害事件は無罪となったが国家転覆罪で禁固刑が確定した。97年に帰国後、2003年まで刑に服した。その後執筆のほか、各国で講演活動をしている。
入管法では、国内外の法律に違反し1年以上の懲役や禁固刑を受けた外国人の入国を禁じている。政治犯に関してはこの限りでないとしているほか、事情により法相の特別許可を受けることができる。国際文化会館はその方向での入国の可能性を探っている。
しかしこの場合、現地の日本大使館にビザ申請し、過去の資料をもとに本人から話を聞くなどの審査を経る。「常識的に考えて、数日間で出る可能性はきわめて低い」(関係者)といい、今回の来日日程にあわせるのは難しそうだ。
(朝日新聞 2008年3月20日)

◇日本の友人たちへの手紙
みなさん、
まったく予期せぬ一連の事態となり、私たちは訪日をあきらめざるをえなくなりました。この訪日にどれほどの喜びを覚えていたことか! 活発な討論、知的な出会い、さまざまな交流と協働に、すでに思いをめぐらせていました。
およそ半年前、私たちは国際文化会館の多大な助力をえて、次のように知りました。EU加盟国市民は日本への入国に際し、賃金が発生しないかぎり査証を申請する必要はないと。用心のため、私たちは在仏日本大使館にも問い合わせましたが、なんら問題はないとのことで完璧でした。
ところが2日前の3月17日、私たちは予期せぬ査証申請を求められたのです。査証に関する規則変更があったわけではないにもかかわらずです。私たちはパリの日本大使館に急行し、書類に必要事項をすべて記入し、一式書類(招聘状、イベントプログラム、飛行機チケット)も提示しました。すると翌18日、私たちは1970年代以降のトニ(アントニオ・ネグリ)の政治的過去と法的地位に関する記録をそれに加えて提出するよう求められたのです。これは遠い昔にさかのぼる膨大な量のイタリア語書類であり、もちろん私たちの手元にもありません。そして、この5年間にトニが訪れた22カ国のどこも、そんな書類を求めたことはありませんでした。
飛行機は、今朝パリを飛び立ち、私たちはパリに残りました。
大きな失望をもって私たちは訪日を断念します。
数カ月にわたり訪日を準備してくださったすべての皆さん(木幡教授、市田教授、園田氏——彼は日々の貴重な助力者でした——、翻訳者の方々、諸大学の関係者の方々、そして学生のみなさん)に対し、私たちは申し上げたい。あなたたちの友情に、遠くからですが、ずっと感謝してきました。私たちはこの友情がこれからも大きくなり続けることを強く願っています。みなさんの仕事がどれほど大変だったかよくわかります。そしてみなさんがどれほど私たちに賛辞を送ってくださっているかも。
パーティは延期されただけで、まもなくみなさんの元へ伺う機会があるだろう、と信じたい気持ちです。
友情の念と残念な思いを込めて……

2008年3月19日 パリにて
ジュディット・ルヴェル&アントニオ・ネグリ
(国際文化会館のウエブサイトより)

写真はアントニオ・ネグリの著書の一冊
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