見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの見つけたとき、それを作品にしたり、思わずなにかの形にして人に伝えたくなります。 見つけたとき感じたしあわせ感覚がひとしずくでも誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

2008/03/17

ダライ・ラマが文化的虐殺と攻撃


◇チベットの独立を支援する国際団体「フリーチベットキャンペーン」(本部ロンドン)は、甘粛省蘭州市の西北民族大学で16日、約100人の学生がラサ暴動への当局の対応に抗議する座り込みを行ったことを明らかにした。
(中日新聞 2008年3月17日)

◇暴動後初めて会見したダライ・ラマは「チベット人は2級市民として扱われ、文化遺産が危機に直面している」と中国政府を批判。「チベットで虐殺が起きているかどうかを調べてほしい」と国際機関による真相究明を要請した。
(AFP通信 2008年3月16日)
 
◇中国チベット自治区ラサで14日に発生し死者80人を出したとされる暴動は16日、同自治区に隣接する四川省にも広がりをみせている。
暴動はチベット自治区以外にも拡大し、四川省アバ県では16日、チベット族住民が警察署などに火炎ビンを投げつけ放火。治安当局は催涙弾で応酬し、5人を逮捕したという。支援団体「チベット人権民主化センター」は少なくとも7人が射殺されたと発表したが、警察当局者はこれを否定した。
(ロイター 2008年3月16日)

◇ダライ・ラマが「文化的虐殺」と攻撃
インディペンデント紙 byクリフォード・クーナン
17 March 2008
チベット支配に対する怒りの抗議が近隣の省(青梅、甘粛、四川北部)に飛び火するとき、国際的な評判で1989年民主化運動の活動家の天安門広場大虐殺以来、最大の脅威を含むせいで、中国は昨夜もがいていた。

首都ラサと他のチベット民族の中心地での仏教僧やチベット市民への武力弾圧が少なくとも100人の死者となった後、チベットの精神的な亡命指導者ダライ・ラマは中国の「文化的虐殺」と非難した。

北京オリンピックまであと5カ月、共産主義政府はダライ・ラマの組織化された暴動と非難することで、そして治安部隊は怒った暴徒に対して拘束を行ったと言い張ることで、政府の行動を擁護している。

チベットの仏教僧による平和な抗議で始まり、怒った暴徒が武装警官と対決することで暮れた騒がしい一週間を居住者がよく考えたとき、ラサの商店街は広く見捨てられたと言われていた。隣の甘粛省の Labrangの僧侶たちは暴動鎮圧警官が抗議者を攻撃した後、4人が撃たれて死ぬのを見たと言った。

これらの事実を確かめること、そして週末にこの新聞の特派員や他の特派員がなんとか町に入ろうとするときの短時間の知る手段を追跡することは不可能だ、なぜなら中国当局が町を立ち入り禁止にして包囲しているからだ。だが、チベット高原の縁にある絵のように美しい Labrangの衝突は、デモがいかに広く行き渡るようになっているかを示すものだ。

社会的不穏を世界から遠ざけるためのさらに一層の企てで、中国は昨夜チベットを訪れる外国人たちの旅行許可をすべて停止した。

国際オリンピック協会はこれまではオリンピックのボイコット呼びかけを取り除いてきている。国際社会はこの先どうなるか知るため熱心に見守っている。それでもなおオリンピックを華々しく催すことで北京の奮闘を支持すると、ダライ・ラマは意味ありげに言った。その地域に移住させるため漢民族多数派のメンバーを奨励する中国の政策に触れて、ダライ・ラマは「故意にか何気なくやったか、ある種の文化的虐殺が起こっている」と言った。「それは本当に絶望的」だと彼はBBCに語った。「チベット側が決然とし、中国側もまた等しく決然とするとき、事態は切迫するようになる。そのために結末は人殺しを意味する。」

人民解放軍がラサに入った後、9年の蜂起に失敗して1959年チベットから逃げ去ったダライ・ラマは、中国政府によって危険な分離主義者と見なされる。

デモ参加者を「心なき破壊者」と説明する国営新華社通信が、「ダライ徒党(派閥)によって組織化され、前もって計画され、首謀者として指揮される、サボタージュ... 」に立ち向かう警察と武装した国民兵による英雄的行為の話を掲載した。

新華社は、金曜の暴力が暴動中に深刻に負傷した12人の警官と武装警官軍人を出し、そのうち2人は重体だと報じた。

夏河(Xiahe)は、中国甘粛省の一部、ほとんどアムドのチベット人地区にある。チベット自治区はチベットの一部に言及するだけだが、300万人ほどのチベット人が甘粛や四川といった中国の近隣省で暮らす。
(チベット民族は2000年の人口統計では541万6021人とされ、チベット自治区に242万7168人、四川省に126万9120人、青梅省に108万6592人、甘粛省に44万3228人、雲南省に12万8432人となる)

チベット人にとって北京によって押しつけられた国境は不適切で、この地域全体に抗議があった。フリーチベットキャンペーンによれば、暴動はまた四川省にあるアバ県のキルティ寺にまで広まっている、そこで目撃者が治安部隊によって13人が撃たれるのを見た。

・抗議者たちは反対するネットワークを活用

甘粛省の夏河では武力衝突と衝突の切れ間に、世界で最も危険な武器ー携帯電話のカメラを使って、僧侶と巡礼者たちがチベットの民族衣装で商店街を歩く。

君のチープな受話器で撮影した粗い画像の警官の残忍行為の写真でダメージをどっさり与えることができる。

Labrang 寺近くで重武装した中国の暴動鎮圧警察と大接戦となった若い僧侶の多くは、チベット人が北京と戦った最後のとき、1980年代後半には生まれていなかった。当時、中国政府は急いで秩序を回復し、戒厳令を押しつけた。新しい世代には、地球で最もパワフルな反対する武器、インターネットがある。

目下の抗議がラサで始まったとき中国が携帯電話の接続を切断するだろうとの恐れがあった。だが、中国のすばらしい携帯電話ネットワーク経由で、目撃者の記述や鮮度の悪い写真が広く世界中へ出世している。

中国の万里の長城こと大ファイアーウォールはぶしつけな道具だが、最もネットに精通したヤングスターたちはこれを出し抜く方法を知っている。

◇英国のチャールズ皇太子が8月に開催される北京五輪の開幕式へ参加しないことがわかった。チベットの人権侵害に対する抗議活動を行う運動組織「フリーチベット」に、皇太子が送った書簡により明らかになった。
「フリー・チベット」は、皇太子に開幕式に出席しないよう求めていた。その要望に対し、皇太子の秘書官代理から以下のような書簡が届いたという。
「これまでずっと皇太子のチベットに対する関心は深く、何度もダライ・ラマ14世とも会談している。五輪開幕式への欠席を求めるのであれば、皇太子は出席しないでしょう」
チャールズ皇太子は1997年の香港の中国への返還式典で、中国の高官を「古いロウ人形の集団」のようで、同式典に参加した中国軍の「ガチョウのような行進」を「ソ連のような恐ろしい見せ物」だと日記に書いていたことが2006年に明らかになっている。
(AFP通信 2008年1月28日)

写真は、亡命政府のあるインド北部ダラムサラの通りで、ダライ・ラマがチベットでの中国の「恐るべき支配」と「文化的虐殺」と呼ぶものに対して、活動家たちが抗議する(16日のBBC NEWSより)