見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの見つけたとき、それを作品にしたり、思わずなにかの形にして人に伝えたくなります。 見つけたとき感じたしあわせ感覚がひとしずくでも誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

2009/12/07

成田のコンコースで暮らす中国人



◇トーキョーの空港でどっちつかずの状態の中国人活動家

もしあなたがこの1カ月に国際線乗り継ぎでトーキョーを経由していたら、運次第では、全面に文字をかきなぐった手作りのTシャツを着ている中国人男性に遭遇する。彼の名前はFeng Zhenghu(馮正虎)、成田空港の国際線到着コンコース(中央ホール)に引っ越してきている中国市民だ。

旧来感覚の「転居」ではなく、米国への入国を拒否されてニューヨークのJFK空港で暮らすことにした東欧の男性の物語、映画「ターミナル」でのトム・ハンクスを暗示するものだ。

55歳のFengの場合は、日本への入国を拒否されたわけではない。むしろ、彼の本国が彼を帰国させようとしないのだ。彼は8回、中国への入国を拒否された。4回、彼は搭乗して上海に着陸したものの中国入管が彼を送り返した。あとの4回は日本の当局者らがきっと入国を拒否されると言って、彼を搭乗させなかった。

理由はいかなる時にでも告げられてきてないが、Fengは人権活動家という中国での前歴のせいではないかとうすうす感じる。結果、8回の拒否の後、失意のFengは中国が自分を帰国させるまでトーキョーの空港を離れないと決めた。

Fengは二枚のTシャツに中国語と英語で、彼は「中国入国を拒否された中国市民」ですと説明するメッセージを書いた。

彼はコンコースを上がったり下がったり動き始め、旅客を立ち止まらせては彼のシャツに目を向けさせる。携帯通信手段と携帯電話のカメラでしっかりと用意を整えた彼は、外交上の苦行の場である空港内の彼の生活についてTwitterとブログで伝えはじめた。

「27日目、お湯」と、FengはTwitterする。特にさびしい日には、「沈黙は最大の騒音」とおしゃべりする。

そして意気揚々としたおしゃべり(Twitter)では、「二食、食べられる。」

通関手続き前の到着コンコースにはレストランなどないことから、食べることは特に大難題だ。彼には通りすぎるときビスケットを渡す乗務員や旅行者の親切が頼りだ。サラダとピザを手に入れた日。狂喜のあまりFengはそれを写真に撮ってブログに投稿した。

成田空港の当局者らは数日後にはFengがあきらめるだろうと思った。政治的抗議であろうとなかろうと、日本は不可侵性(聖域)を提供してきており、空港当局者らはどんな人も温かい食事やシャワーなしにあまり長く生活できるとは考えていなかった。だが、いま、Fengが滞在2カ月目に入ることで、成田の警備部門主幹クリタ・ヨシユキは心配になっていると言う。

「私は本当にFeng氏が好きです」とクリタは言い、非公認の借用者をよほどよく知りはじめたとあって、ふたりは互いを「友だち」と呼び合う。「日本に入ってほしいのは彼の健康のせいなんです。私の願いは彼が任意に日本に入ることです。これは住む場所ではありません。実際、彼がこれを理解することを望みます。この空港で私たちはトム・ハンクスを必要としません。」

成田の警備部門はFengを日本に護送できた、だが、それよりは彼が進んでしたほうがよいとクリタは付け加える。

中国当局者らは意志を曲げる準備ができてるようには思えない。「この問題と取り組むため、中国の直接的に関連する政府機関は適切な規則と出入国法に忠実に従うつもり」だと、中国の外務省スポークスマンQin Gangは言った。

多くがFengを支援すると言う旅客たちは、同時に、中国当局をじっと待つことで彼にできることに悲観的である。「彼は来年をここで過ごしかねない」とアメリカ人旅行者リー・フォーサイスは言った。「彼は中国政府に立ち向かっている。そして立ち向かうこと、それは一大事だ。」

彼は新しい生活に慣れてきており、耐えられる限りじっと待つつもりだとFengは言う。彼の最新のTwitter投稿のひとつにこうある。「中国人の大半が私の顛末を知るようになったとき、私は母国に戻ろう。」

(CNN 6 December 2009 by Kyung Lah)