見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの見つけたとき、それを作品にしたり、思わずなにかの形にして人に伝えたくなります。 見つけたとき感じたしあわせ感覚がひとしずくでも誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

2010/03/27

異端児の星印 デニス・ホッパー



◇デニス・ホッパーが今日ハリウッド殿堂入り 

26日金曜日、おそらく数百人の人がいた。ハリウッド・ウォークオブフェーム(殿堂入り)で名誉を与えられるデニス・ホッパーは彼の星形にとてもかしこまって感謝しているふうだった。彼の家族がいて、多くのセレブが彼を励ます。病気のために出られないかもしれないと思った人がいたので、彼が姿を現したとき、群衆はそれは興奮した。彼は心からイージーライダー(社会の拘束を離れてバイクで渡り歩く流れ者)だ!

写真には、目立たない所で喜びを表明するジャック・ニコルソン、孫娘、ビゴ・モーテンセン、仲のいい友人、多くのセレブが含まれる。
 
(CNN iReport 26 March 2010)

彼は前立腺ガンの末期。なににも捕らわれず奔放に感性のおもむくまま生きてきたように見えるイージーライダーの頭と右手の包帯が、逃れられなかった望まない治療のなごりを見せていたましい。(彼を日本に招くデニス・ホッパー東京実行委員会に参加したひとりのファンとして。)

2010/03/26

ジョン・ルーリーの絵




◇シンガー、ソングライター、複数の楽器演奏家、マーク・リンカスが自殺を図ったのを、マネージャーがローリングストーン誌に正式に認めた。想像力から生まれたアンビエント・サイコ・フォークの4枚のアルバムをリリースしたスパークルホース(Sparklehorse)での喝采で迎えられる作品で最もよく知られるリンカスは、また、ダニエル・ジョンストンの2003年のアルバム「Fear Yourself」をプロデュースして、「Dark Night of the Soul」でデンジャーマウス(Danger Mouse)とコラボした。47歳のリンカスは音楽に取り組むため最近移動していたテネシー州ノックスヴィルの友だちの家の外で心臓をぶち抜いた。

リンカスのドラマチックで官能的な音楽は、たいてい苦痛の箇所から生まれた。スパークルホースのデビューアルバム「Vivadixiesubmarinetransmissionplot」の後、1996年UKツアーの最中に危険な組み合わせのバリウム(精神安定剤)と抗鬱剤を摂取した後にリンカスは本当に2分間心臓が停止した。彼は回復したが、そのできごとが彼に後遺症の足の麻痺を残した、彼は14時間意識を失った状態に置かれて両足への血液の循環が止まったのだ。医者が両足をまともにしようとしたとき、彼は心臓発作に襲われ、損傷を受けた脚を救うため7回手術を受けた。だが、そのできごとの後、彼は1999年のアルバム「Good Morning Spider」、2001年のアルバム「It's A Wonderful Life」、2006年のアルバム「Dreamt for Light Years in the Belly of a Mountain」を録音した。「厳密な解釈に従うとボクが死んだとき、ボクは数分間死んだと思う、歌を書く能力をボクに割りあてる脳の一部は損傷を受けるだろうから、しばらく、ボクは本当におびえた」と、1999年に彼はローリングストーン誌に語った。

リンカスはつい最近、EMIとの法的問題でストップさせられたマルチメディアプロジェクト、「Dark Night of the Soul」でデンジャー・マウスと映画監督デイヴィッド・リンチと協力した。ちょうど先週、デンジャー・マウスとレーベルが論争を解決して、元々そのつもりだったようにそのアルバムをカムアウトさせることで合意した。2009年7月、リンカスがローリングストーン誌と最後に話したとき、「Dreamt for Light Years in the Belly of a Mountain」で彼とデンジャーマウスがどうやっていっしょに取り組んだか、いかにしてプロデューサーにインストルメンタルの曲を「革命」と呼ばせたか、彼は説明した。「ボクはまったく歌うことができなかった」とリンカスはローリングストーン誌に語り、「反戦歌には違いないと思った、でも、ボクが歌詞を書いてもムダ」と言った。その曲に歌詞とボーカルと歌が加えられて、タイトルしなおされた「Just War」が、「Dark Night of the Soul」をキックオフする。「あれがプロジェクト全体としてはegg(爆弾)だった」とリンカスは言った。

「アンチレコード」の責を果たした新しいアルバムがほぼ完成間近だったのをリンカスのマネージャーが確認する。

(ローリングストーン誌 6 March 2010)

写真はマーク・リンカス
続いて、
ジム・ジャームッシュの映画とその後のジョンが監督して案内する釣り映画「フィッシング・ウィズ・ジョン・ルーリー」でよく知られるようになるラウンジリザーズ(フェイクジャズ)のジョン・ルーリーがライム病というマダニによって感染する難病でサックスを10分と吹いていられないカラダになっているのを、そしていまはサックスを置いて、代わりにドローイングと油彩であの繊細で独特なリズム感を表現しているのを、ご存じでしたか。5月16日まで東京のギャラリー、ワタリでやっています。
ーーそのジョンの作品の一枚
2005年の「JESUS IN MY GARDEN ONCE」
http://www.johnlurieart.com/art/

Climategate 気候スキャンダル



◇10万5000個のタトゥー:イラク人アーティスト、ワファ・ビラルが自分のボディをイラク人とアメリカ人死者の記念となるキャンバスに変える

公式の戦死者は10万人でしたが、ことによると100万人になるとあまねく見積もられます。アートワークの最新作でイラク系アメリカ人アーティスト、ワファ・ビラルは、この大それた犯罪行為の数に取り組もうとします。それは、「..and Counting」という刺青をする24時間のライブパフォーマンスで、3月8日の夜ニューヨークのアートギャラリーのためのエリザベス財団で始まりました。9日の夜までにビラルの背中にはイラクの都市の名とアメリカ人兵士の死者を表す5000個の赤いドットと公式のイラク人死者数を表す見えないインクで彫られる10万個のドットが刺青されることとなります。イラク人死者数を表すドットは紫外線の下でのみ見えるものです。

◇主要な環境保護団体は批判に相当する

中には、地球を救うという公認の任務に正反対だと言う立場の人がいる、彼ら自身のランク内から主要な環境保護団体が批判を受けています。ネーション誌の最新号で英国のジャーナリスト、ヨハン・ハリはこう書きます。「私たちが人類の歴史において最大の環境危機に直面するとき、闘いの先頭に立って行くのを運命に定めるグリーン(環境保護)組織の多くが、世界最悪の環境汚染者から現金をどんどんもうけ、見返りに科学を根拠とする環境保護主義を葬ることに忙しい... 受け入れない人々によって大々的に宣伝されるいんちきの気候スキャンダルの渦中に、ほら、本物のClimategate(気候スキャンダル)です。」

(9 March 2010 デモクラシーナウ!)

◇イスラエルがヨルダン川西岸に新規5万区画を計画

パレスチナ当局はその決定を1600戸の新規入植地住宅を建設するイスラエルの計画をもとに判断しますが、イスラエルの新聞ハーアレツはその数が極端に高いものになるといま報じています。国際的に認められる1967年の境界を超えた占領地にイスラエル政府は5万区画の新規住宅を建設するつもりでいるとイスラエル計画当局は言います。区画のわずかな数はアラブ人地区に建設されますが、大部分はもっぱらユダヤ人の東エルサレム入植地に建設されます。

◇イスラエル軍のレイチェル・コリー殺害で民事裁判が始まる

話変わってイスラエルでは、殺害されるアメリカ人平和活動家レイチェル・コリーの家族によって起こされた理不尽な死亡事件の裁判が始まっています。7年前、23歳の大学生コリーはガザでイスラエル軍のブルドーザーにつぶされて死にました。彼女は取り壊しを止めさせようと、パレスチナ人の家屋の前に立っていました。もっと早いイスラエル軍の内部調査はブルドーザーを運転していた兵士らに責任を免除しました。3月10日水曜、レイチェル・コリーの父親のクレイグ・コリーは法の裁きまでの長い道のりについて思案の結果を述べました。
クレイグ・コリー:「私たちは外交手段を通じて当然の報い(処罰)を追い求め、米国の調査を期待しました、もちろん、シャロン首相はブッシュ大統領に徹底的な行動と私たちの娘の殺害の信頼できる透明な調査を約束しました。そしてそれはまだ起きていません。」

◇ゲイツがサウジアラビアに兵器援助を誓約

イランに集中するものと思われる会談のため、今日ロバート・ゲイツ国防長官はサウジアラビアにいます。サウジアラビアが「広域射程の空と海とミサイル」兵器を入手するのを手助けするアメリカの計画をゲイツがサウジの王室に請け合ってきているとニューヨークタイムズ紙が報じています。サウジの首都リヤドに到着したとき、ゲイツは会談でイランの話題が「上る」のを期待すると言いました。
ロバート・ゲイツ国防長官:「私たちのサウジの友人とパートナーに加えて軍と軍の結びつきを含める私たちにはあふれる数の話すべき主題がある。確かに私たちには扱う非常に幅広い課題がある。」

◇プレバル:米国の議員らはハイチ政府への直接支援を拒む

米国の高官を相手にプレバルのワシントン訪問の一環として、水曜オバマ大統領がハイチのレネ・プレバル大統領をホワイトハウスでもてなしました。今月末の提供者の国際会議に先だって、ハイチ政府は支援計画を決定的にしています。オバマは、さんざんな地震の結果として起こるハイチ再建を手助けすると誓約しました。
オバマ大統領:「プレバル大統領と私が検討したように、現地の状況は相変わらず急を要するままで、人々はきっと危機が終わる状況を正確にとらえているはずです。それでも多くのハイチ人が困っています、あるケースでは避難所や食べ物や医薬品を命がけで必要としています。そして春の雨期が近づくことで、そのニーズは増すばかりとなります。今の努力目標は二次災害を防ぐことです。」
オバマのコメントにもかかわらず、政府への米国の補助手段を求めるプレバルの嘆願は、たいてい馬の耳に念仏です。ワシントンポスト紙とのインタヴューで、計画された3億5000万ドルの予算不足を克服する彼の援助の要請に対し、議会指導部は気のない反応をしたとプレバルは言いました。地震の2週間後AP通信は、米国がハイチ援助活動で費やす1ドルにつき1ペニーに満たない額をハイチ政府は受け取っていると報じました。1ドルにつき食べ物に費やされる9セントの3倍以上の33セントが米軍扶助に出費されます。ハイチでは失業するハイチ人労働者がプレバルの外国訪問を批判しました。
ピエール・アリオドール:「私たちは食うための稼ぎがなにもない。私たちは生きるための安全な場所がない。つまりどういうことか?まさに私たちにはなにもないんです。私たちはまったく独力で生きています。実際、私たちにはハイチの政府が見えません。プレバルが行動して、まさしくオバマに会いに行っているとき、彼は自分のビジネスを取り計ろうとしているだけで、実際、彼がハイチ国民のためには何もするつもりがないというのがその理由です。」

◇ビルマは政敵を選挙から締め出す

主要な対抗馬が国政選挙で立候補するのを妨害するためにビルマでは暫定軍事政権が新しい法律を課してきています。法律は、民主主義びいきの指導者アウン・サン・スー・チーを含める、誰とは問わず有罪判決を有する者が公職を得ようとするのを禁止します。声明で、ヒューマンライツウォッチのアジア局長、ブラッド・アダムズは、「軍の気骨を有して民間の規則の体裁を考案しようと意図するごまかしの政治プロセスを続ける」と言って、暫定軍事政権の動きを非難しました。

◇カンサスシティが重大な学校の閉鎖、一時解雇を発表

ミズーリー州のカンサスシティ教育委員会が5000万ドルの赤字のまっ最中に街の公立学校のほぼ半数を閉鎖することを票決で認めました。世に言う「合理化」計画が、カンサスシティの61の学校のうち28校を閉めて、285の教師の口を含める3000の職のうち700を削減することになりました。

◇国連報告者:オバマ政権は拷問の真相を突きとめるべき

ジョージ・W・ブッシュ前大統領の下で犯される拷問の徹底的調査に着手するのを拒むために、拷問に関する国連の独立した専門家がオバマ政権を批判してきています。国連の拷問に関する特別報告者、マンフレッド・ノーワークは、政権が最近の政策を調査するのを拒否することで、さらなる拷問の下地をお膳立てする危険にさらすと言いました。
マンフレッド・ノーワーク:「オバマ政権としては、その業務(慣例)を実際に調べるため徹底的調査追求の全権限を持つ、ハイレベル、第一級の委員会または特別な徹底的調査追求を実際に設置することに、他にあまりにも多くの理由があります。それは私たちにはなお相当の文書の機密扱いを解くことを意味し、それゆえ、何があったか、世界を除いて、ブッシュ政権によって犯された重大な人権侵害は何だったか、もちろん私の場合には、どういう類の拷問の手法かを、アメリカ国民に教えることを意味します。ことによると、私たちはすべてを知りません。」

◇国際勇気ある女性賞(International Women of Courage Award)

世界中から10人の女性活動家がアメリカ国務省の「国際勇気ある女性賞」を与えられています。ヒラリー・クリントン国務長官が水曜、国務省で賞を手渡しました。
ヒラリー・クリントン国務長官:「孤立と威嚇、暴力のおどし、投獄を耐え抜いてきている世界中からの女性を私たちは尊敬しています。多くが正義と自由と平等な権利を誰でもみなに前進させるために命を危険にさらしてきてもいます。彼女たちの身の上話は、たとえあなたが誰であっても、どこに住んでいようとも、世界の政府によって尊重され保護される、すべての人々の権利と威厳の前にすべきどれほどたくさんの仕事が残されているかを私たちに気づかせます。でも、この女性たちが、変化が可能なことを証明します。」
ジンバブエのジェスティナ・ムココが受賞者の代表として話しました。
Jestina Mukoko:「国際勇気ある女性賞は、人種、宗教、肌の色にかかわらず、世界中からのすべての女性を団結させる連帯のメッセージです、そして、私たち各自がしていることを理解し認めることで、もはや言葉が障害でなくなっているのを私たちは経験により身につけてきています。それどころか、マダム・セクレタリー(女性国務長官)、女性の権利は人権であるとのあなたの強い意志に共鳴するのみならず、今年の国際女性デーのテーマ、”権利平等、機会均等、すべてに対する進歩”と調和しています。」

(デモクラシーナウ!11 March 2010 ヘッドラインより)

写真は、前立腺ガンで死にかけていることが離婚訴訟で明らかになるデニス・ホッパー
離婚裁判の文書には、ホッパーは前立腺ガンの末期とある。証言するには不調すぎるが、ハリウッドのウォークオブフェイムに彼の星形をしるす式典に出席するのを医師は認める。もしデニス・ホッパーが26日金曜の式典に出席すれば、ファンが生きてる俳優を見る最後かもしれない。
ホッパーは妻と1月に別れた。
(CNN 25 March 2010)

2010/03/24

イスラエルに強烈なシグナル




◇パスポート騒ぎで英国がイスラエルを追い出す

1月ドバイでのハマス司令官マフムード・マブフーフ殺害に12人の英国の偽造パスポートが使われたことでイギリスはイスラエル外交官を追い出すつもりだ。

イスラエルに偽造の責任があったのを「信じないではいられない理由」があったと、デイヴィッド・ミリバンド外相は言った。

(CNN 23 March 2010)

◇追放はイスラエルに対する強烈なシグナル

イスラエルがイギリスのパスポートをコピーとして作成した証拠を英国の重大組織犯罪局が見つけた後、イギリスのデイヴィッド・ミリバンド外相はイスラエル外交官を追い出す決定をしてきている。

イスラエル外交官は大使自身ではないものの、追放はイギリスの不満と怒りについて非常に強烈なシグナルをイスラエルに送る。

消え失せることになるその人物はイスラエルの秘密情報機関モサドのロンドン支局長だろうと暗に指摘。

モサドがドバイでハマスの上級官僚を殺害したとの証拠をイギリスは入手していないと外交筋は言う。

しかしながら、アラブ首長国連邦の警察によって告発が起こされる。

イギリスのイスラエルとの関係はしばらく面倒になってきている。

パレスチナ占領地におけるユダヤ人入植地からの製品をレッテル付けして分離することでイギリスのなんと明瞭な支援にイスラエルは憤然とする。

そして昨年末、イスラエル元外相ツィピ・リブニ(今はイスラエル野党の党首)が戦争犯罪の問責で逮捕状が出された後、急な予告で、イギリスへの往復のキャンセルを強いられた。

世界中で、イスラエルはいま、その同盟国からりっぱな外交圧力を受けている。

特にイギリスの支援を有するアメリカ人たちが、パレスチナ人との和平交渉をほとんど不可能にさせるとの理由で、エルサレムの占領地でのユダヤ人のための建設を止めるようにイスラエルをせきたてている。

・過去の試み(襲撃)

イスラエルがマブフーフ氏の殺害への関与を立証されるとして、それは初めてではない。

1997年、首相として最初の任期の間にイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相はヨルダンの別のハマスの官僚ハレド・メシャルの毒殺を命じた。

しかしながら、メシャルのボディガードがモサドの殺し屋チーム2人を捕まえた後、試みはしくじられる。

激怒したフセイン国王によってネタニヤフ氏は解毒薬の処方をヨルダンに送るよう強要された。

ネタニヤフ氏はまた、その頃イスラエルとの平和条約に署名していた国王をなだめるために、ハマスの精神的指導者ヤシン師の釈放をヨルダンにもちかける必要があった。

2004年にガザの空襲で殺されるまで、ヤシン師(車イスの老人)はイスラエルの苦労の種だった。

メシャル氏は生き残り、今はハマスの政治的重鎮で、ダマスカスにて亡命生活を送る。

彼を殺す試みが、1999年の選挙でイスラエル国民をネタニヤフ氏に背かせることになるひとつの要因だった。

(BBC NEWS 23 March 2010 by Jeremy Bowen Middle East Editor)
http://news.bbc.co.uk/go/pr/fr/-/2/hi/middle_east/8583041.stm

◇英国放送協会(BBC)と衛星放送スカイニューズ(Sky News)は23日、イスラム原理主義組織ハマス幹部の暗殺事件で、容疑者グループが偽造された英国旅券を使用していたことを受けて、英政府がイスラエルの外交官を国外追放する見通しだと伝えた。



また、英紙デーリー・テレグラフも、イスラエルのロン・プロソル駐英大使が22日に英外務省に呼ばれたと報じたため、外交官追放の憶測はさらに過熱している。



デービッド・ミリバンド英外相は前月、この事件への国際的な調査についてイスラエルに「全面的な協力」を要求していた。



ハマス軍事部門創設者のマフムード・マブフーフ司令官は1月20日、英国などの偽造旅券を使用した容疑者グループにより殺害された。



この暗殺にイスラエルの対外情報機関モサドが関与したとの疑惑が広がったが、イスラエル政府は証拠がないとして退けており、報道によると、英政府もこの点に異議を唱えるつもりはないとみられる。



しかしデーリー・テレグラフ紙は、ミリバンド外相は23日(日本時間24日未明)に出す声明で、イスラエルの保安当局が英国旅券を偽造したと公式に発表する見通しだと報じた。

(AFP通信 2010年3月23日)

写真はイギリスのミリバンド外相と、恥を知らないネタニヤフ首相

2010/03/23

キットカットとオランウータン




◇グリーンピースのキットカット・キャンペーンより

アメリカの大手企業ネスレグループの「キットカット」チョコレートには、インドネシアで熱帯雨林を伐採することで製造するパームオイルが使われている。

グリーンピースのキャンペーンコマーシャルでは、ブレイクの合間にかじるキットカットはオランウータンの指!

アブラヤシの大規模プランテーションのために熱帯雨林がつぎつぎと伐採されて切り開かれるせいで、ネスレ社が購入するシナール・マス社などのパームオイルがオランウータンをはじめ熱帯雨林をよりどころにする動物を生存の危機に追いやる。

また、森林破壊のせいで、二酸化炭素が大量に放出されてインドネシアはアメリカと中国に次ぐ世界ワー スト3位のCO2排出国になっている。

写真は、ここまで伐採されていることに驚くインドネシアのPalangkarayaと、グリーンピースの「熱帯雨林にブレイクを!」キャンペーンのキットカットマーク
(どちらも GREENPEACE のサイトより)
http://www.greenpeace.or.jp/campaign/forests/nestle/index_html?fromhome

2010/03/20

イラク侵略7年目



◇7年の戦い:オバマ政権下のイラクはブッシュと比べて何も違わないと、米国侵略の記念日にイラク人フェミニスト、ヤナル・モハメドは言う

今日3月19日は米国主導イラク侵略7周年の特別の日です。私たちデモクラシーナウ!はイラク女性解放機構(Organization of Women’s Freedom in Iraq)の会長、ヤナル・モハメドと話すためバグダッドに行きます。「民営化、労働者階級には安全保障なし、多国籍企業にはたくさんの投資」とモハメドは言います。「私たちが経験するのは、グリーンゾーンに地位を占める最初の政治勢力だった民兵の変形である政治家のグループを繰り上げてきている民主主義です。」

◇反戦抗議でシンディ・シーハンが「Camp OUT NOW(さあ野営を)」を始める

イラクとアフガニスタンの戦争をやめるようオバマ大統領に求めるため、ワシントン記念塔のそばでキャンプをし始めている、団体ピース・オブ・ザ・アクションの創始者、反戦活動家シンディ・シーハンと話すため私たちはワシントンDCに行きます。シーハンの息子ケーシーは2004年4月4日、イラクで任務に就く間に殺されました。

◇独占記事:オバマによって米国支援の再開が開始されたインドネシア軍が新たな暗殺に関与

デモクラシーナウ!の独占記事で、米国が後援するインドネシア軍が2009年後半の一連の一般市民活動家の暗殺を実行したのを、調査報道ジャーナリストで活動家のアラン・ネアンが明らかにします。インドネシア軍への支援を拡大してコパサス(Kopassus)として知られる悪名高きインドネシア軍特殊部隊の訓練の12年間禁止を解くのをホワイトハウスがめざすとき、このニュースが出てきます。暗殺を手配した、米国に鍛えられるコパサスの将軍は、ネアンに対し、人殺しでのインドネシア軍の役割を確認しました。

▲この独占記事について番組の放送は右のリンクにあるメールマガジンNewsFanzineにて配信する予定でいます。

(以上、デモクラシーナウ!19 March 2010)

写真はアメリカが支援するおそろしいインドネシア軍特殊部隊コパサス

2010/03/18

オバマの医療保険改革案



◇票決のタイミングはこれを遅らせるCBO(下院予算局)の計算次第だと民主党幹部たちは言う

オハイオのデニス・クシニッチ下院議員は水曜、ヘルスケア法案に賛成投票するつもりだと言った

これまでクシニッチはこの法案を、民間保険業者のためのムダな出費(事業)と性格づけてきていた

真偽はともかく真実らしい変節が、法案の通過の見込みを好転させる

(CNN 17 March 2010)

◇オバマ米政権が推進している医療保険制度改革法案に反対していたクシニッチ下院議員(民主、オハイオ州)は17日、記者会見し、同法案に賛成票を投ずる意向を明らかにした。

同議員は国民皆保険を唱え、公的保険を民間保険の補完とする同法案では制度として十分でないと反対。米下院本会議で昨年11月に行われた医療保険改革法案の下院案の採決で反対票を投じた39人の民主党議員の中でも、最もリベラル色の強い議員だ。

クシニッチ議員は記者会見で、「わたしが望む法案ではなく、あるがままの法案について決断を迫られていることは認識している。わたしの票は、法案への賛成票としてカウントしてもらう」と語った。

ホワイトハウスは、反対派の議員に強力に翻意を働き掛けている。オバマ大統領は16日、クシニッチ議員を大統領専用機に同乗させ一緒にオハイオ州を訪問、同議員が地元で開いた集会に出席した。

下院民主党指導部は、法案の下院通過を確実にするための票集め工作を続けているが、人工中絶や移民の扱いなどをめぐり異論は多い。また、医療保険改革の上院案を本則として可決するものの、予算調整名目の付則で実質修正するという議事運営について、共和党から批判が出ている。この方式をとれば、同法案が上院に送付されると、審議なしで採決に付すことができる。

(ウォールストリートジャーナル 2010年3月18日)

写真はクシニッチ下院議員(CNN)
キャプション:ヘルスケア法案に「yes」とリベラルの中心人物がくるり方向転換
民主党下院議員デニス・クシニッチが彼の立場を転換して8750億ドルのおおざっぱな(包括的)医療保険改革案に賛成票を投じる決意の固さを告知した

2010/03/16

Coffee vs.Tea



◇政治運動が起ころうとしている

コーヒーパーティはティーパーティ運動の規模か?3月13日土曜日はその質問に答えを試みる最初の大きな試金石だ。

国中いたるところのコーヒーハウスで350から400のイベントをおこなうつもりであると駆け出しの運動のリーダーたちは言う。コーヒーパーティがまたたく間のオンラインヒットになってきているかぎり、土曜の全国的なイベントの成功を計るのはもしかするとグループの人数からなるバロメーターかもしれない。

「私たちの政府に私たちを代弁させるため、目を覚まして懸命に働く必要がある」と、運動の創始者アナベル・パークは言う。

保守派のティーパーティのメディア露出過剰と彼女が考えたことに怒る41歳のワシントンエリアのドキュメンタリー映画作家、パークは、コーヒーパーティを呼びかけるのに彼女のフェースブックのページを使った。

友人たちが返事をくれて、返信して、そして返信するのが始まった。パークは「コーヒーパーティ運動に加わる」というファンページを始めた。結果として殺到が起こり、今ではパークに推定11万5000人のファンがいる、そのほとんどが過去15日のうちに生じて、ワシントンポスト紙やニューヨークタイムズ紙のコーヒーパーティに関する記事とケーブルニューズネットワークの報道が引き続いて起こる。

「ちょうどアメリカ革命のように、私たちは今すぐ、本当の代表制を待ち受けています。たった今、私たちは政府によって代表されると思っていませんし、メディアによってもまた実際、適切に代弁されると思っていません」と先週、CNNの番組「アメリカンモーニング」でパークは言った。

「目を覚まして未来を管理し代表制を要求しろと人々に訴える、それはいわば簡単な召集です」と彼女は言った。「そして反抗して自由に意見を言うよう人々に要求します。」

ティーパティ活動家は、財政の保守主義と煮えくりかえるほど激しい反税金(重い負担)レトリックに没頭する彼らの抗議運動を説明するのに同じ言葉をよく使う。コーヒーパーティはティーパーティへの応酬として番組に組まれる。

「私たちの政府を彼らがどのように変えようとしているかに対する返答です」とパークはCNNに語った。「私たちがぶつかっているのは彼らの方法論です。私たちはいくつか同じ事態を望んでいるかもしれませんが、彼らの行程は私たちをそれは遊離させます。」

当時上院議員のバラク・オバマの大統領選とバージニア州の2006年の民主党上院議員ジム・ウェブの選挙戦でヴォランティアとして働いたパークは、コーヒーパーティはいかなる党とも緊密に提携しないと言う。彼女は二大政党制を時代遅れとみなす。

「それは敵味方の2つのチームでやるフットボールの試合のような一種のゲームとして人が政治を考えるのを助長させます、そしてそれは一方の得点が他方にとって失点になるゼロサム状態です。一方の人が勝てば、他方は負けます。それは実際に集団の意思決定を行うのに健全な方法ではありません。民主政治ではありません。」

ヘルスケアをめぐる痛恨の戦いが、政府がいかに役に立っていないかの例だとパークは言った。

「非常に分割された国であるのを示すばかりか、私たちの政治プロセスについて本当によくない何かがあるのを議会のヘルスケア論戦が示したように私たちは感じます。政治プロセスの内部構造をいわば見せられて、非常に正しく作動しない何かがあるのを実感させられました。私たちが応酬していることがそれだと思います。」

では、この新たな大評判にティーパーティ運動は何を思いつくか?

「このコーヒーパーティは、風刺、またはもっともな広く行きわたった草の根運動に対する作られた応酬で、弱々しい試みのように見える」と、連邦と州のフリーダムワークスのためのキャンペーンを指揮するブレンダン・ステインハウザーは言う。フリーダムワークスはヴォランティア活動家を養成するのを手伝ってティーパーティ運動に味方するたくさんの組織的影響力を提供してきている保守的なNPO(非営利組織)だ。

「それは上から下に組織化されて営まれる、下からのせっせと働く草の根運動ではない」とセントルイス・ティーパーティのジム・ホフトは言った。

コーヒーパーティの集まりは過去6週間全国的に催されてきている、そしてそれは大きくなっているとパークは言った。

コーヒーパーティの最初の全米の行動は3月27日にあるとパークは言った。その日、復活祭休会中の下院議員を会話などに引き込むための方法を議論するため、メンバーたちが一堂に会するのだ。

(CNN 13 March 2010)

◇米国務長官、イスラエル首相に不快感 入植承認「理解できない」

クリントン米国務長官は12日、イスラエルのネタニヤフ首相に電話し、同国が東エルサレムへの新規入植住宅建設を承認したことに関して「なぜこのようなことが起きたのか理解できない」と強い不快感を伝えた。イスラエルとパレスチナ自治政府との中東和平に向けた「信頼と自信を台無しにした」と抗議した。

クローリー国務次官補が同日の記者会見で、電話の内容を明らかにした。クリントン長官はネタニヤフ首相に対し、承認のタイミングと計画の内容の双方に「米国は強く反対している」と強調した。

また「(米イスラエルの)2国間関係とバイデン副大統領訪問の精神に反する非常に否定的なシグナルとみなす」とも述べた。そのうえで、イスラエルに中東和平に向けた「具体的な行動」を示すよう要求した。

(日経ネット 2010年3月13日)

◇イスラエル政府がジョゼフ・バイデン米副大統領の同国訪問中に東エルサレムでの入植者住宅1600戸の建設計画を発表し、米国など関係各国が強く反発した問題で、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は13日、経緯を調査するよう命じた。

政府報道官によると、ネタニヤフ首相はバイデン副大統領訪問中の経緯を調査し、再発防止のための規則を作るため、政府幹部による委員会の設置を決めたという。

この問題についてヒラリー・クリントン米国務長官はネタニヤフ首相と電話で会談し、米・イスラエル関係に対する「非常に否定的なシグナル」だと語ったほか、米CNNテレビで、バイデン副大統領の滞在中にイスラエルが計画を発表したことは「侮辱だ」とも述べるなど、異例の強い表現で批判していた。ネタニヤフ首相は発表の時期について謝罪していた。

(AFP 2010年3月14日)

ああ ベッカムが...



◇今年ワールドカップ出場でそのきらびやかなフットボールプロ選手の生涯に有終の美を飾るというデイヴィッド・ベッカムの望みはアキレス腱で手術を受けた月曜についえた。

ベッカムの世界的人気には(特にアメリカ人ファンについて)南アの2010年ワールドカップに大観客を惹きつけるものがあった。だが、彼のイタリアチームACミランのリーグ戦の試合中に、ピッチからびっこをひいて来るのを余儀なくされた。

月曜、ベッカムに手術を施したフィンランドの整形外科医サカリ・オラヴァがケガはベッカムの左足アキレス腱の完全な断裂だったとフィンランドのCNN系列MTV3に語った。

「手術はうまくいったと思います」とオラヴァは言って、ベッカムが今年の夏のワールドカップに欠場すると付け加えた。「治療はもっと長くかかるでしょう。」

ベッカムはヘルシンキから250キロ西にあるトゥルクの私立病院でオラヴァから治療を受けるため月曜に運ばれた。

・ベッカムのケガはどれくらい深刻か?

「彼が到着したとき、ワールドカップでプレーできる見込みはほとんどないことがわかりました」と外科医が彼女に伝えたと、MTV3のジャーナリスト、メルヴィ・カッリオは言った。

その日もっと早くに、イングランド代表チームのボス、ファビオ・カペッロはミッドフィルダーのスター選手にお見舞いを言った。

「このケガに辛抱しているデイヴィッドには非常に哀れをそそる」と彼は声明で言った。「デイヴィッドは卓越したプロ選手でワールドカップに準備のできた状態にするため非常に懸命にやってきている、なのでそれに欠場するのは大打撃のはずだ」と彼は付け加えた。

・ワールドカップにとってベッカムのケガはなにを意味するか?

彼自身のウェブサイトに投稿したメッセージで、ベッカムは、専門家に会うためフィンランドに向かう途中でピッチへのすばやい復帰について楽観的だと言ってきていた。

「ボクは気が顚倒しているけど、支援のメッセージをくれたみんなに感謝したい」と彼は言った。「迅速で完全な回復をしたいものだ。」

もっと若手のルーニーのようなスター選手ほど決定的ではないにしろ、南アの選手の顔ぶれにベッカムの参入は、彼をワールドカップ4大会でプレーする英国初の選手にするものだった。

・ブログ:ベッカムの選手生命ーー終わったと彼らは考える

日曜のイタリアセリエAの対キエーボ戦の試合終了間際に彼のケガは起こった。ボールをキックしようとしながら前にぐっと出るミッドフィルダーに見たところアキレス腱の断裂が生じたらしいとき、彼の顔にそれとわかる苦痛が。

アメリカのチーム、ロサンジェルス・ギャラクシーからミランに出向中(一時的に貸し出される)の34歳は、プレーを続けようと試みたがすぐにケガが深刻すぎるのに気づくとその時点で両膝をついて顔をピッチの下に置く。

かかとを下の足の筋肉につなぐ組織の断裂、苛酷なアキレス腱断裂しだいでは、治療に何ヶ月もかかるかもしれず、軽い運動を再開するにも物理療法士らが数週間の休息を勧める。

「もしそれがアキレスなら、非常に深刻です。試合に復帰するまでにたぶん5〜6カ月は動けなくなるかもしれません、いつでも試合の用意ができるにはもっと長くかかるでしょう」と英国フットボールの最初の女性物理療法士サミー・マーゴットがCNNに語った。

ワールドカップが確実からほど遠かったために1996年以降イギリス勢でレギュラーのベッカムの選抜とはいえ、それは選手の私生活に関する最近のスキャンダルによってぐらついてきているチームに確信の一撃となるだろう。

それはまた、世界で最も見憶えがあり最もドル箱のフットボール選手としてのベッカムのステイタス、がっかりさせるパフォーマンスと同時代の若手の出現によってすでに包囲されるポジションに、さらなるへこみをおわせることになるだろう。

だが、ベッカムは過去に逆境と闘ってきている。2002年4月、彼は左の中足骨を骨折したが、結局、準々決勝でノックアウトされたイギリス勢に加わるのに間に合って回復した。

・SI.com:ケガには国際的なインパクトがある

元マンチェスターユナイテッドの選手のサッカー大当たりはまた、ピッチ外の彼の生活によって反映されてもいる。彼とその妻、元スパイスガールのビクトリアは、ハリウッドAリストの連中とまったく親しく交際してトム・クルーズを多くのセレブの友だちのひとりとみなす。

スポーツのスキルのゆえに桁外れの金額を意のままにするとはいえ、ブランド名のスタイルの象徴として彼は大金を稼ぎもすれば、彼自身のコスメの品ぞろえに彼の名をつけてきている。

ゴルファーのタイガー・ウッズに打撃を与えている最近の大騒動と比較して、ベッカムのありそうなワールドカップ出場できなくすることが彼の大いに収益の多いイメージを傷つけることはありそうにないと、市場アナリスト、スーパーブランドのスティーブン・チェリオティスは言う。

「ワールドカップに行かなくなることで文句を言うことはできても、彼のブランドを危険にさらすほどではない」と彼はCNNに語った。「彼に悪くはたらくことで勝算はまったくない。」

(CNN 15 March 2010)

2010/03/13

パティ・スミスの Just Kids



◇裸足でダンス:パティ・スミスの「Just Kids」
ロックのあこがれの的が若いときを回顧する

「ジョン・マッケンドリー(メトロポリタン美術館写真部門キューレータ)がニューヨークのハイソサエティの主役、マキシーン・デ・ラ・ファレーズ(2009年4月死去、50年代ファッション信奉者、ファッションモデル、アングラ映画女優、料理本を出版)と結婚した。ジョンとマキシーンは、このうえもなく魅惑的だった世界に入る機会をロバート(メイプルソープ)に供給した。」デ・ラ・ファレーズは「秀でたコック」で、「差し出されるどの洗練されたコース料理にも同じ程度によくスパイスが効いた彼女の客による当意即妙のやりとりがあった。彼女のテーブルに座った典型的な例では、ビアンカ・ジャガー、マーサ&ベリー・ベレンソン、トニー・パーキンス、ジョージ・プリンプトン... 」

ここで、そして他にも幾つかの箇所で、この本がほんとうにパティ・スミスによる回想録なのかどうか確かめようと、あなたはいまにも「Just Kids」の表紙を裏返そうとしていたかもしれない。さらにパティ・スミスの歌や彼女のタフな初期の詩から私たちが慣れてるものではない、スーザン・ソンタグのジャンルの新しい試みか、ことによるとロマンス小説のように感じさせる。けれども彼女が外国のスタイルを得ようと努めるのはそれほど不思議なことではない。彼女はランボーの霊媒になろうとして乗り出し、それを今ではたいしたものの彼女独自の詩的なロックンロールに変えた。

彼女はここでは同様の上出来の変換に達しない。「Just Kids」は時々、詩人によって書かれた長い散文のいつもの欠点を有するただの記念のアーチではあるが、クラリネットの新たな試みでのように、みごとなできでなくても、その献身的な熱意の力によってパティ・スミスはあなたを引きつける。

ここで彼女の強い愛着の主たる対象は、1989年エイズで死んだ、彼女の愛人であり友人、芸術のパートナー、ロバート・メイプルソープだ。「Just Kids」は彼らの関係についてであり、また関係外の少なくとも最初の評判までの彼女の人生についてでもある、したがってこれは、長いことこれを待ってきたファンを喜ばすに決まっている部分的な自叙伝になる。

パティ・スミスは1946年シカゴで生まれ、ペンシルバニアのジャーマンタウンに、その後、サウスジャージーに移った。本は幼年期の記憶、ピーターパン冒険心の少年団を率いる熱中とわるさで始まる。(一方、若きメイプルソープは、母親のためにビーズに糸を通し、宝石に絵を描くことで忍耐ともの作りを学んでいる。)パティ・スミスは、「ヤングレディになるのが肝心」だからと、「私のダチの前で」シャツを着るよう母親に言われるとき腹を立てる小さな反逆者になる。パティ・スミスは十代で妊娠する、赤ん坊を放棄して、芸術の夢を抱く若者は「誰も私に期待しない、すべてが私のために用意されている」ビッグシティをめざす。

メイプルソープもまたそこにいてプラットでアートを勉強する。空腹でストリートを歩くパティ・スミスは彼とばったり出会い、二人はロマンチックな物語風の夜を共有する(「彼と一緒で私が感じた快適さと開放感に驚いた。LSDでトリップしていたと彼は後で教えた」)。すぐに二人は最初はロマンチックに人生を共有する、だが主として共通のアートと名声の夢を分かち合う。創作するためほとんど逆上状態の二人はどちらも自己の考え、仕事に夢中だ、二人の薄く透き通るもやのような寝室「ロマンチックチャペル」を彼が破壊して反射するマイラー(ポリエステルフィルム)に代えたときパティ・スミスの初期のメイプルソープに対する期待はずれのひとつがやってくる。(後に、彼が自分はゲイと公表してパティ・スミスの驚きに。)だが、銭が不足すると(貧乏、不振、淋病)二人は互いの面倒をみる。ものごとが満足のいくとき、二人はダンスする。

途中で二人は身を立てる道を開く。「Just Kids」は、ヒッピーとパンク時代の間のくたびれたダウンタウンシーンについて、そして文化的な情熱を燃やし続けた生存するアーティストと企業家について、とっておきのバカ丁寧な説明をする。私たちはまた、この二人のスターの日の出の勢いが才能によって駆られたのではなく、マックスの極上のテーブルの釣りの腕かまたはデ・ラ・ファレーズのディナーパーティで描かれるもっと高尚なネットワーキングか、いずれにせよ、社会的よじのぼりが欠かせなかったことを示される。

パティ・スミスが伝えるとき、メイプルソープはいっそう刺激されるよじのぼり屋で、そのせいで彼女は時々彼を非難する。「あなたは近道を期待している」と彼女は彼に言う。「なぜボクは長い手段をとらなきゃならないのか?」と彼は返答する。だが、彼女はずっと従って自分を関係させる。(「サム・シェパードといっしょに一体何をしているの?」とジャッキー・カーティスが彼女にわめく。)極度に自信過剰のパティ・スミスが出世の手づるを景気づける必要があったとは、私たちにはイメージし難いかもしれないが、メイプルソープは明らかに彼女を刺激して順番にコラージュから彼独自の写真へ移行するよう彼をせきたてる。

キュートな少年だと思ったから、アレン・ギンズバーグが自動販売式のカフェテリアでパティ・スミスに食事をおごるというような、幾つかすごい逸話がある。(あとで彼がこの遭遇を彼女がどう報告するか心配するとき、彼女が飢えていたとき彼が食べさせてくれたと言うつもりだと彼女は返答する、これは賢いし、たぶん彼女の巧妙さだ。)しかし、パティ・スミスがあの不毛の時代にそうしたように、「Just Kids」はメイプルソープに戻り続ける。つまるところ、それは自叙伝かもしれないが、どちらのことばの意味においても、彼女は彼なしには自分自身を思い描くことができなかった。

(villagevoice.com 26 Jan 2010 by Roy Edroso)

写真は、写真ブースを共有するパティ・スミスとメイプルソープ(1969 Courtesy Patti Smith)

2010/03/12

カール・ローブ水責めを自慢



◇「水責めは世界を安全に保つ」と誇らしげなカール・ローブ

ブッシュの任期が終わって以降、初の英の放送番組のインタビューでジョージ・W・ブッシュ大統領の主席次官補、カール・ローブがニューズナイトのカースティ・ウォークに語る。ローブ氏のまもなく発売される本「Courage and Consequence(勇気と結果)」はブッシュの側近のひとりによるブッシュ任期のメモリーだ。

(BBC NEWS 11 March 2010)
http://news.bbc.co.uk/2/hi/programmes/newsnight/8563372.stm

◇ピニェラが大統領に宣誓就任するときチリで地震が起きる

新大統領が就任したばかりの南米チリで11日、強い地震が連続して発生し、中部の都市ランカグアで被害が出ている。当局は同国沿岸部に津波警報を発令、住民に避難命令を出した。

米地質調査所(USGS)によると、現地時間の午前11時39分にマグニチュード(M)6.9の地震があり、その16分後にM6.7、27分後にM6.0の地震があった。2月27日に西部沿岸で起きた大地震の余震とみられる。

震源は首都サンティアゴ南西約152—138キロの地点。この直後に震源から約145キロ離れたバルパライソではセバスティアン・ピニェラ新大統領の就任式が行われたが、テレビ映像によれば就任式に支障はなかった。ピニェラ大統領は、この地震で大きな被害が出たランカグアに軍を派遣すると表明し、自らも就任式後に現地入りした。同日午後にはこの地域を激甚災害地に指定すると発表している。

(CNN 2010年3月12日)

写真は、ピノチェット軍事政権後、チリで20年続いた左派政権に終止符を打った右派連合のピニェラ新大統領(BBC)
ピニェラ新大統領はクレジットカード事業や航空事業で成功を収め、上院議員を務めた。米経済誌フォーブスによると、推定資産は22億ドル。国民からは復興を目指し事業家としての手腕を発揮することが期待されている。(ロイター)

◇中国外務省がイスラエルの入植批判

中国外務省の秦剛副報道局長は11日の記者会見で、イスラエル内務省が東エルサレムへの新規入植住宅建設を承認したことについて「強く反対する。イスラエルに計画の即刻停止と和平交渉再開の努力を求める」と批判した。「イスラエルとパレスチナの間接的な和平交渉再開に向けたカギとなる時期にあり、イスラ エルの動きは交渉の基礎を破壊し、国際社会の努力を損なう」と述べた。(中国総局

◇パレスチナ自治政府議長、宅地開発計画で間接和平交渉参加は困難

米国仲介による間接和平交渉開始にパレスチナ自治区とイスラエルが合意した問題で、アッバス自治政府議長がイスラエルが占領地東エルサレムで新たな宅地開発計画を承認したことに反発、これを撤回しない限り、和平交渉への参加は困難との立場を表明した。

自治政府当局者によると、議長はアラブ連盟のムーサ事務局長と会談した際、この方針を表明した。議長はまた、米国に対しイスラエルに新宅地開発計画を断念する働き掛けることを求めたという。

間接和平交渉の合意は8日で、イスラエルは翌9日に1600戸の宅地開発計画を発表していた。アッバス議長の不参加の発言で交渉の行方は早くも不透明になってきた。

宅地開発計画の承認は、入植支持派のイスラエルのイシャイ内相の一方的承認で、ネタニヤフ首相は同内相を呼び、不快感を表明したともされる。同首相は昨年11月、和平交渉再開のため、ヨルダン川西岸での入植者住宅の新規建設を10カ月間凍結するとの方針を発表している。ただ、東エルサレムは対象外だった。

新たな宅地開発計画承認では、中東歴訪中のバイデン米副大統領も10日、会見でイスラエル側を強く非難していた。

パレスチナ自治政府は、和平交渉の開始でイスラエルによる入植計画の全面凍結を条件にしている。

(CNN 2010年3月10日)

2010/03/10

フランス人はKitanoがわかる




◇北野武氏に仏芸術勲章 展覧会も開催へ

フランス文化省は9日、映画監督でタレントの北野武(ビートたけし)氏に仏芸術文化勲章の最高章コマンドゥールを授与すると発表した。同日ミッテラン文化相から授与される。パリでは北野氏の展覧会「絵描き小僧」が11日から9月12日までカルティエ現代美術財団で開催される予定。

9日にパリで記者会見した北野氏は「自分が楽しいと思ったことを作品にした。みなで共有してほしい」などと語った。

展覧会では北野氏が制作した絵画や劇中画、オブジェなどを展示する。北野氏は仏では映画監督として知られるが、今回の展覧会では画家やコメディアンとしての活動にも焦点があてられている。一方、パリの現代美術館ジョルジュ・ポンピドー芸術文化センターでは11日から約3カ月間、北野氏が監督した映画作品の連続上映会が開かれる。

(日本経済新聞 2010年3月10日)

◇映画「その男、凶暴につき(Violent Cop)」「ソナチネ(Sonatine)」「HANA-BI」などで世界的に有名な北野武(Takeshi Kitano)監督。監督業だけでなく俳優、コメディアン、テレビ番組の司会など多彩な顔を持つ同氏の新たな側面を浮き彫りした自伝がフランスで24日に発売される。本のタイトルは「KITANO PAR KITANO(キタノによるキタノ)」。フランス人ジャーナリストのミシェル・テマン氏との共著だ。



北野氏は同書の出版を前にAFP通信のインタビューに応じ、幼少時代に育った土地や彼を取り巻く友人・家族、生い立ちなどを語った。



・ヤクザにならなかったのは母親のおかげ



戦後間もない1947年に生まれた北野氏は、都内足立区の貧しい家庭に育った。賭け事と酒が好きだったペンキ職人の父親は、4人の子どもたちと過ごすことはほとんどなかったという。



人間の暗部を描いた映画で日本の「ヤクザ」を世界に知らしめた北野氏だが、母親がいなければ自分もヤクザになっていただろうと語る。



「その地区は・・・ニューヨークで言えばブロンクスみたいなところだから。・・・お袋の教育がなかったらそういう世界に入った可能性もあるし。ただ、知ってるかぎりほとんどの奴がチンピラで終わってるか、殺されてるから、悪い世界に入っても偉くはなれない土地だと思う」



教育熱心な母親の影響で数学や科学に興味を持った北野氏は大学に進むが、学業よりもショービジネスの世界に魅せられていく。その後、浅草のストリップ劇場・浅草フランス座で芸人としてデビュー。紆余曲折ののち漫才師「ビートたけし」として頭角を現し、あっという間に週8本ものレギュラー番組を抱える人気テレビタレントになった。そうした中ある偶然から映画監督を引き受けるが、やがて世界的な映画監督として高い評価を受けるようになる。



・映画監督として高い評価



批評家は北野氏を粗野で通俗的だと批判するが、同氏はこう反論する。



「傷つくよりも怒る。あまりにも無知なんで。特にスタンドアップコメディアンで上がってきた時の、彼らの評価の仕方と内容に対する意見がまるっきりでたらめなんで、それからずっと、あいつらは信用できないと思っている」



監督デビュー作品「その男、凶暴につき」は絶賛され、批判する者たちを黙らせた。93年の第4作「ソナチネ」は国際的に高い評価を受ける。



翌94年のバイク事故では九死に一生を得るが、顔面の一部が麻痺するけがをした。事故の際は真っ暗な一本道の明かりの下に倒れていたのでひかれずにすんだうえ、免許証から身元が分かり病院ですぐプロジェクトチームができたと話し、「そういう意味でよく生きていたなぁと。ちょっとこんなに物事がうまく運んだのかと」と当時を振り返る。



カムバック後は精力的に監督業に取り組み、98年の「HANA-BI」ではベネチア国際映画祭のグランプリを獲得した。



・画家としてパリで美術展も開催



今年フランスでは、北野氏の自伝出版のほかにも、同氏に焦点を当てたさまざまなイベントが開催される。ポンピドー芸術文化センターでは「北野武大回顧映画特集」が、さらにカルティエ財団現代美術館で絵画展が開かれる予定だ。



北野氏は自身の絵画展について「あの絵をみて、趣味以上だとオレがもし言ったとしたら相当みんなに笑われると思うけど(笑)。カルティエでオレの絵を飾るということ自体が、相当まずいなと思ってるんだけど」「だから子供の絵だって言うんならいいけど、まともな画家の絵だなんて言ったら、ほんとに困る。ほんとに恥ずかしいと」と語った。

(AFP/Gilles Campion 2010年2月20日)

写真は映画「3−4×10月」海外では「Boiling Point」と「ソナチネ」のポスター(office-kitano websiteより)

2010/03/09

イラク戦争支持は国際法違反



◇イラク戦争は違法と2001年にブレアが警告

チルコット審問(イラク独立調査委員会のこと:議長の名を取ってそう呼ばれる)によって差し控えられる秘密文書が侵攻について外務省の不安を明らかにする



侵攻は違法になる、「多数の犠牲者」とイラクの崩壊に導きかねない、と主張する外務省の有力な官僚の警告に加えて、イラク侵攻は軍事行動が取られる2年以上前に政権内で議論されたことを、インディペンデント紙は明らかにできる。

ゴードン・ブラウンが侵攻という政府の決定での彼の役割を説明するよう求められるイラク審問に出廷するちょうど3日前、結局はトニー・ブレアによって支持された政策にある程度まで抵抗する英国政府の政策が出現する。

2000年の終わりに上級公務員によって作成された秘密の外務省戦略文書はこの新聞によって入手され、本日初めて公表される。イラク:将来の戦略文書は好戦的なイラク指導者サダム・フセインと交渉する選択肢を考慮する。それはジョン・チルコット卿のイラク審問が発表を辞退してきている欠かせない重要文書のひとつだ。

「政権打倒」の政策は提案されるが、きびしく糾弾される。軍事行動を取ることの結果についてびくびくおびえた不吉な査定でこう述べる。「そのような政策は有益な国際的支持を少しも集めません。成功する表だった攻撃はたぶん国土侵略を含める大規模な軍事行動を必要とするでしょう。これは多数の人的損害と、ひょっとしたらサダムによる抑止力かまたは大胆な抵抗の、最後の最後まで戦う極端な行為の危険を冒すことになります。」

有力な官僚が付け加える。「それはまた違法でもある。これに反して、内密の攻撃が成功するようにはとても思えないしイラクをばらばらにする危険を冒す、それは明らかにその地域の私たちのもっと広い利権と相容れないものとなる。」2003年3月の侵攻の結果としてイラクは暴力に身を落とした。100人以上のイギリス軍に加えて数十万のイラク人が侵略直後の時期に殺された。

文書はまた、サダム・フセインを倒すのに軍隊を使うことはもっぱらニューヨークの9.11テロ攻撃後に議論されたとのブレア氏の主張に疑いを差しはさむ。そしてこの夏、さらなる公開証拠を示すためにブレア氏を再び審問にかけることで審問への圧力を強めることだろう。

自由民主党の党首ニック・クレッグは、それは英国をイラク戦争へ持っていくブレア氏の決定に反対して「さらにいっそう有罪を証明する証拠」だと言った。彼はまた、文書がチルコット審問によって公開されなかったという事実が、国家機密などにかかわる微妙なデータを明らかにする能力に関し「重大な疑問」を起こさせたと警告した。政府は機密文書の公表を差し止める権限を保持してきている。チルコット・チームと英国政府との間で合意した冒頭の定式文は、異議を唱えられる文書の公表では最終決定権を行政長官ガス・オドネル卿に与える。
 
情報自由法を使って文書を確保する要求は最初拒否された。しかしながら、インディペンデント紙が内部調査を要求した後、ついに外務省は米国と他の国々の見解を黒で塗りつぶした編集版を公表することに同意した。「文書の公表は政府をもっと説明できるようにさせて信頼を増させる」と外務省は容認した。「大臣やその後の意思決定に与えられる忠告の質を査定できるという公益がある。」

戦争に頼る決定を批判する者たちは文書に乗じた。「私たちを戦争に従事させる政府の核心における彼の役割をゴードン・ブラウンが擁護しようとする数日前、これはイラク侵攻を正当化しようとの試みに反対して、さらにいっそう有罪を証明する証拠である」とクレッグ氏は言った。「政権交代は違法で私たちの国益に反すると、外務省は、はっきり忠告されていた。」

ジョージ・W・ブッシュをホワイトハウスに導いた2000年11月の大統領選より先に、戦略文書は、当時の外務省中東政策の指揮者William Patey卿によって依頼された。

兵器査察官のイラクへの出入りを許すよう求める1999年の国連決議は、「瀬戸際でほころびを見せ始めて」おり、「威信を失う」のはわけない、査察官との協力でサダムを見捨てる、という話だ。しかしながら、それはサダムを「牽制する(封じ込める)」政策を勧め、できたらバグダッド政権に押しつけられる制裁を緩めることを忠告して「イラクの方に向かう私たちの政策目標達成のため最良の選択肢」を残す。それはこう結論を下す。「この段階で他の代案はパッとしない」ままであると。

(インディペンデント紙 02 March 2010
by Michael Savage, Political Correspondent)
 
▲写真は問題の文書(インディペンデント紙)
画像をクリックすると拡大版で見ることができます

◇イラク戦争検証 欧州から学ぶべきもの

イラク開戦から7年ーー。米国と連携した英国は戦争遂行の是非をめぐる検証を進め、5日にはブラウン首相が証人喚問に臨む。“大義なき戦争”に向き合おうという姿勢には見習うものが多い。

イラク戦争はブッシュ前米政権が英国と始めたが、大量破壊兵器の開発や国際テロ組織アルカイダとの関係という疑惑は“幻”だった。開戦以来の死者は、米軍が中枢同時テロ犠牲者数を上回る4千人を超え、英国兵士は200人近く、イラク国民に至っては約10万人にも上る。歴史的汚点だろう。

目下国家再建が進行し、オバマ米政権は米軍撤退にかじを切ったが、戦争を客観的に総括するほどの余裕はない。

ところが英国は違った。戦争の正当性や占領政策に疑問を持つ世論や野党の突き上げからにせよ、ブラウン首相が昨年7月、歴史学者や元外交官ら5人からなる独立調査委員会を設立。政府の機密書類を精査し、公聴会で政治家、外交官、軍、情報機関幹部を喚問し、世界の耳目を集めてきた。

「イラクは生物化学兵器を保有し45分以内に攻撃できる」。開戦前のブレア首相報告だ。ブッシュ政権も「イラクのウラン(核兵器の燃料)入手を英政府が突き止めた」と断じた。だが公聴会で外務省元幹部は「その情報は精度の高いものではなかった」、元法務長官は「開戦の合法性は疑問」と首相に伝えたと証言した。

これに対し、1月末に登場のブレア氏は「フセイン政権の危険性を放置できなかった。開戦判断に誤りはなかった」と反論。開戦当時、ナンバー2の財務相だったブラウン首相も5日証言する。

実は復興支援で部隊派遣したオランダがやはり独立調査委員会をつくり、同様の検証を先行させ、このほど「イラク戦争への政府の支持は国連決議に基づかず国際法違反だった」と結論づけている。

日本では自民党小泉政権が開戦を早々と支持、復興支援への自衛隊派遣をめぐる議論などが国会でなされはしたが、第三者的な委員会で検証する動きは見られない。

国柄や歴史観の違いは当然あるにせよ、民主主義を標榜(ひょうぼう)することは同じである。民主主義は国家のしたことを国民が知り、省みることができてこそ成立する。日本の地域紛争への対応や支援は今後も予想される。憲法や国際法を踏まえた検証の不可欠なことを欧州は教えているのではないか。

(中日新聞社説 2010年3月5日)

2010/03/08

マンハッタン少年日記にあこがれて



昨年9月に亡くなったジム・キャロルの追悼記事 時間が経過してますが... 
やはりビートジェネレーション、パンクムーブメントへのあこがれもあって
行ったニューヨークシティ 記録しておこうと思います

◇「バスケットボールダイアリーズ(邦題:マンハッタン少年日記)」の作者、パンクの羨望の的、ジム・キャロルが60歳で死す

その人生談が、自叙伝「バスケットボールダイアリーズ:マンハッタン少年日記」の中で誰もが知っているとおり詳細に記述された詩人でパンクロッカーのジム・キャロルが、2009年9月11日、ニューヨークシティで心臓発作のあとに死んだ。キャロルは60歳だったとニューヨークタイムズ紙は報じる。1960年代ティーンエイジャーとしてドラッグ濫用で苦闘するキャロルを詳細に叙述する「バスケットボールダイアリーズ」は大学進学予備校のバスケットのスターから売春に頼るヘロイン中毒へと彼の転落を描写する。すべてはキャロルが17歳になるより前だった。1995年のこの本の映画化でレオナルド・ディカプリオがキャロルを演じた。「バスケットボール」のほかにも、キャロルの他の注目に値する作品には、「4 Ups and 1 Down」や1973年の「 Living at the Movies」がある。

詩人としての地位を確立した後、キャロルは友人パティ・スミスに幾分うまくのせられて今度は音楽に転向した。キャロルはローリングストーンズのキース・リチャーズの目にとまった、キースはジム・キャロル・バンドが3枚のレコード契約を確実にするのに助力した。彼らのファーストアルバム、1980年の「カソリックボーイ」はニューヨークパンクシーンの画期的事件とみなされる。キャロルは続いてもう2枚のLP、1982年の「Dry Dreams」と1983年の「I Write Your Name」で第一歩となった。それにまた、1998年には4枚目のアルバム「Pools of Mercury」を出した。

映画「バスケットボールダイアリーズ」のサントラでも彼の歌「カソリックボーイ」のニューバージョンでパール・ジャムとコラボするキャロルを見つけた。カソリックボーイはあまりにも早く死んだキャロルの友だちに寄せる抒情詩、キャロルの「People Who Died」はまた、スピルバーグの「ET」のサントラでも特別扱いされた。

「私は1970年代に彼と出会った。すでに彼はほとんど例外なく彼の世代のベストの詩人として受け入れられた」と、今週末のニューヨークタイムズ紙にパティ・スミスが語った。「作品は洗練されていてエレガントだった。彼には絶妙なくだり(すぐれたところ、美点)があった。」ローリングストーン誌は「Pools of Mercury」発売の翌年、1999年にジム・キャロルと対談した。そのときキャロルは、歌を書くプロセス、「バスケットボール」のインパクト、ビート詩人アレン・ギンズバーグとウィリアム・バロウズの死、カート・コバーンとの出会いを論じた。

(RollingStone 14 September 2009)

◇ジム・キャロルを回顧 ~感謝~

彼はバスケットボールの語り草、詩人、ミュージシャン、そしてとりわけ友人だった。「他の誰よりも君を恋しく思う」と彼が言うくらい。

金曜日マンハッタンで60歳で心臓発作で死んだジム・キャロルは13歳のときには伝説的人物だった。それは、詩人のテッド・ベリガンが彼を連れてジャック・ケルアックを尋ねたときだ。ケルアックはジムの書いたものに目をやって、「ジム・キャロルは、今日書いている小説家の89%よりましな散文を書く」と言ったのだ。

でも、ボクは彼のバスケットの語り草に少なくともそのくらい引きつけられた。近隣がまだアイルランド語だったとき、ジムはオヤジが密造者ダッチ・シュルツのためにバーの仕事をしていたと言った、マンハッタン北端のインウッドへ家族と共に引っ越したローアーイーストサイドで育った子が、奨学金をもらってエリート校トリニティスクールへ、続けてどんどんニューヨークの街全体を申し分のないものにするただひとりの白人の子になっていく、それから、きわめて多彩な大学の奨学金を断って、ローワーイーストサイドに戻り、ヘロインを打って、容赦のないポエトリーの偶像を追い求める。


(LATimes 16 September 2009 by Lewis MacAdams)

◇ジム・キャロルの死が詩に空虚を残す

ヘロインはジム・キャロルが十分な可能性に届くのを妨げていたかもしれないが、詩の神童として彼の遺産に異論はない。

先週のジム・キャロルの死でアメリカは非凡で最も過小評価された詩人の声のひとつを失ってきている。彼の最も人気のある作品「バスケットボールダイアリーズ」で描写されるように、それと見合う美しいアイルランド人のルックスを持つアイルランド系アメリカ人のバーテンダーの3代目の息子、キャロルは、ニューヨークのローアーイーストサイドで育った。エリート私立学校でオールスターチームのバスケットボール選手として十代の二重生活や、持ち上がるヘロイン中毒とジャンキーのシーンを取り囲むストリートライフを詳細に叙述した日記を12歳でつけはじめる、彼は詩の神童でありそれと対照をなす男でもあった。

ランボーやフランク・オハラといった人たちに鼓舞されて1965年セントマークスプレイスでワークショップに参加し始めて一年後の16歳でデビュー作品「Organic Trains」を出版した。特にヘロイン中毒の資金調達のため時たまタイムズスクエアーのコールボーイとして働いてもいた16歳にしては大きな手柄、パリレヴュー誌に「バスケットボールダイアリーズ」からの抜粋が出た。

バロウズやケルアックのような人たちに彼を紹介し、キャロルをかばったのは詩人のテッド・ベリガンだった。キャロルの上昇は、アンディ・ウォーホール、ベルベットアンダーグラウンド、ロバート・メイプルソープ、パティ・スミスを生産した時代、60年代後半から70年代初頭のマンハッタン・ダウンタウンに集中した文化的爆発とまったく一致した。ある日ボブ・ディランと酒を飲み、翌日はアレン・ギンズバーグの口説きをかわすなど、キャロルは彼ら全員から大いに敬意を表された。それはのちほど、まず間違いなく彼の最強の散文コレクションの「Forced Entries: The Downtown Diaries 1971-1973」に詳細に記録される。

次に、少なくとも確かに財政的に詩よりもうかる音楽的キャリアをキャロルが享受したとき、それは意外でもなんでもなかった。 だが、ロックミュージックはキャロルにとって実は常にありがたい気晴らし、副業なだけだった。彼のハートが内面的な文学の世界にあるのは明らかだったし、彼の作品はある核心のテーマ、宗教とカトリック教信仰、夢、麻薬常用癖、ニューヨーク、幼年期と思春期、死、サバイバルに回帰し続けた。

キャロルの詩の作品数はスリムだった。20年で3冊の詩集を出版した。1973年「 Living At the Movies」、1986年「The Book Of Nods 」、1993年「Fear Of Dreaming」、けれども彼が出版したすべてが辛辣で、啓発し、人を高尚にした。MTVが彼を番組に招いたとき、彼は主流にスタイルを移すほんの少数の現代詩人のひとりだった。彼はまた1993年Lollapaloozaツアーでバンドとバンドのあいだに詩を読んだし、1995年に再びMTVに登場し、見覚えのあるダウンタウンの調子で「カート・コバーンのための8フラグメント」を読んだ。

キャロルが十分な可能性に届くのをヘロインが妨げている感じは変わらなかった、彼はある批評家たちが予言した「80年代のディラン」ではまったくなかった。けれども彼にユニークな詩の観点を提供したのもまたこのアウトサイダーのステイタスだった。「この想像力がそんな高度を必要とするとは嘆かわしい」と彼は書いた。「むしろ私は残りの全部とうまくいくほうを選んでいるだろう。」最後に、はっきりしている事実:彼の朗読会は頻繁に売り切れた、アーヴィン・ウェルシュ、トニー・オニールといった作家や映画作家ハーモニー・コリンへの彼の影響は明白、そして先週彼が書斎で死んだとき、ウォーホルがアートでそうだったように、ベルベットアンダーグラウンドが音楽でそうだったように、彼は20世紀後半のアメリカ文学の代表として充実した内容の作品をあとに残した。

(Guardian.co.uk)

スタバはガンマンのたまり場




◇米スターバックスで銃議論、持ち込みを禁止しない姿勢に賛否両論

米コーヒーチェーン大手スターバックスが利用客の銃持ち込みを禁止しない方針を続けていることが発端で、銃規制派と銃支持派で議論が巻き起こっている。

米国では43州で銃器類の持ち運びが合法となっている。しかし、各商店などは各自の基準で、店内に銃器類の持ち込みを拒否することができる。

スターバックスも州法などに従い、店内への銃器類持ち込みを禁止していない。そのため、各店舗にはおおっぴらに銃器類を持った客が集まるようになった。

銃規制派団体は、スターバックスのハワード・シュルツ最高経営責任者(CEO)あてに、銃持ち込みを禁止している他のチェーン店と同様、規制を求める書簡を送付するなどの運動を続けている。

しかし、スターバックス側は「お客さまからのご意見は真剣に受け止める」「地元の法に基づいてサービスを提供している」と、銃持ち込みなどを今後も禁止しない立場を示している。

この対応に、銃所持の権利を主張する団体は「感銘を受けた」など称賛。支援の気持ちを伝えるために、スターバックスを今後も利用していくと述べている。

(CNN 2010年3月5日)

◇「オープンキャリー」に理解の動き

スターバックスをはじめとする米国の複数のチェーンストアは今、銃器の携行をめぐる激しい議論の板挟みになっている。米国では、公共の場で銃のオープンな携帯を促す運動が急速に広がっており、銃規制支持者とまっ向から対立している。

日常生活のあらゆる場で銃を見える状態で携帯することを促す「オープン所持」ムーブメントは、全米で緩やかに広がってきたが、ここ数カ月でその勢いを増 している。銃規制支持者は、ムーブメントの沈静化を図るべく、スターバックスコーヒーチェーンへの嘆願書の提出を含め、さまざまな圧力をかけている。

最終的な決定権は建物や場所を所有する企業側にある。だが、スターバックスのように銃の持ち込みを規制していない店舗は、オープン所持支持者のたまり場と化しつつある。

スターバックスは3日、議論の渦中に身を置く結果となっていることについては残念だとしながらも、オープン所持を許可する各州法に従うという同社の長年の方針については擁護する姿勢を示した。その根拠の1つとして、店内への銃の持ち込みを禁止した場合、従業員が危害を加えられる可能性があることを挙げた。同社によると、オープン所持を合法化している全米43州には、4970のスターバックス店舗がある。

同社は、「これらの問題をめぐる政治的、政策的、法的議論は立法府と裁判所でなされるべきであり、スターバックスの店舗でなされるものではない」と述べた。

こうした動きの背景には、このところ「銃を持つ権利」を支持する側が、さまざまな場で相次いで勝利を収めていることがある。昨年5月、共和党が国立公園内の連邦銃器規制を解除する規定を付加したクレジットカード規制法案がオバマ大統領によって署名された。

また、ワシントン市コロンビア特別区の拳銃所持を禁止する法律が部分的に米国憲法修正第2条(人民の武装権)に違反するとの判決が2008年に合衆国最高裁によってなされたが、2日に行われた修正第2条の全米への適用拡大に関する審理では、最高裁判事の過半数が全米で州や地方の銃規制を緩和する意向を示した。この裁判の判決は今年6月までに下される見通し。

現在29州で、弾丸を装填した拳銃を、無免許で見える状態で携帯することが合法化されている。オープン所持ムーブメントを支持するオンラインフォーラム「OpenCarry.org」によると、残り13州では、免許を取得した上でオープンな所持が認められている。

カリフォルニア州では、弾丸を装填しない限り、無免許で拳銃をオープンに携帯することが許されているが、拳銃を見えない状態で携帯することへの規制が不公平であることへの抗議の証しとして、拳銃をベルトに装着したホルスターで携帯し、スターバックスやレストラン、小売店などに現れる人が増えてい る。

オープン所持の支持者は、ウィスコンシンやミシガン、ペンシルベニア、ルイジアナといった州にも広がっている。なかには、「オープン所持に寛容な」店舗のリストを作成し、銃の持ち込みを禁止する店舗での不買運動を推進しているものもいる。小売最大手ウォルマート・ストアーズ、ホームセンター大手ホームデポ、家電販売チェーン大手ベスト・バイ、書籍販売大手バーンズ・アンド・ノーブルは、一部のオンラインフォーラムでオープン所持に寛容な店舗として指定さ れているか、あるいは既存の法律を順守すると述べている。ベスト・バイの広報担当者は「地方・州の法律に準じることを方針としている」と述べた。

オープン所持の支持者は、銃を持つ権利の適用拡大を促す州議会の動きも利用している。ただし、そのほとんどが、銃のオープンな携帯に関する問題を特に扱っているわけではない。

400万人の会員で構成される全米ライフル協会(NRA)は、過去20年にわたって、拳銃を見えない状態で携帯できるようロビー活動を行ってきた。

現在38州で、犯罪歴や精神障害を持つ市民以外なら申し込み次第、見えない状態での銃の携帯を許可する「シャル・イシュー法」に基づく免許制度を設けている。2州については免許の取得は必要なく、8州では地元の議員や警察の裁量によって許可する「メイ・イシュー法」を設けている。

NRAの広報担当者は「われわれは、地域、州、連邦の法律に従って、法律を順守する米国民の自己防衛権を支持する」と述べ、オープン所持に対するそれ以上のコメントは控えた。

だが、オープン所持を合法化している州でも、銃を所持しない顧客への配慮から、店内への銃の持ち込みを禁止しているレストランチェーンもある。

ピザチェーン大手カリフォルニア・ピザ・キッチンの広報担当者は「当店では、あからさまな銃器の所持が、特にお子様やお子様連れのお客様に不快感を与えることを懸念している」と述べた。

銃規制を求める市民団体「Brady Campaign to Prevent Gun Violence(銃暴力を防ぐブレイディ・キャンペーン)」は、携帯電話を活用した社会運動の推進団体「クレドアクション」とパートナーを組んで、2万8000人を超える署名を集め、スターバックスに方針転換を要求する嘆願書を提出したと述べた。

ワシントンDCを拠点とする銃規制団体「Educational Fund to Stop Gun Violence(銃暴力抑制教育基金)」の事務局長、ジョシュア・ホルヴィッツ氏は「顧客が銃器を見える状態で店内に持ち込むことを許すのは、商売上好ましくない。顧客を刺激することになるうえ、一部の客離れにもつながる」と述べた。

実際、スターバックスのすべての従業員が、同社の方針に同意しているわけではない。スターバックスの従業員で、同社の労働組合員でもあるエリック・ フォーマン氏は「会社の方針は従業員の安全と感情をまったく無視している。フラペチーノの仕上がりに文句をつける客もたちが悪いが、銃を片手にフラペ チーノの仕上がりに文句をつける客はもっとたちが悪い」と語る。

世界産業労働組合(IWW)に加盟するスターバックスの労働組合は3日、声明で「われわれは、節操ある個人によって、問題の両面から活発な議論が交わさ れていることについて感謝している。だが、これまでのところ、スターバックスにはオープン所持法によって直接影響を受ける自らの従業員に広く働きかけようと努力する様子はみられない。したがって、このままでは、適切な解決策が得られるとは決して思えない」と述べた。

(ウォールストリートジャーナル 2010年3月4日)

写真はスターバックスの本拠地、ワシントン州シアトルで、銃規制に対する抗議活動を見守る銃の「オープン所持」支持者たち(AP)

◇イスラエルが東エルサレムの家屋取り壊しを遅らせる

イスラエルと占領地では、イスラエル政府がバスタンの近所の東エルサレムにあるパレスチナ人の家屋を解体する計画を遅らせてきています。1世紀以上ものあいだパレスチナ人家族が居住した家屋の土地に考古学パークを建造することでイスラエル当局はせきたてています。イスラエルの国際的イメージにふりかかる懸念を挙げて、イスラエルのネタニヤフ首相が取り壊しを遅らせるようエルサレムの市長に求めました。イスラエルの人権グループIr Amimのスポークスマン、オルリー・ノイはその解体計画を批判しました。
オルリー・ノイ:「エルサレムにおけるイスラエル・パレスチナ紛争の最も一触即発のエリアの、最も敏感で不安定なエリアにあるほぼ90家屋の大規模取り壊しを含めるどのような計画も、その都市の政治的将来と目下の安定の両方にすこぶる危険だと私たちは考えます。」

◇国連人道問題担当最高責任者:ガザは「野外刑務所」

同時にガザでは、国連の人道問題担当最高責任者(人道問題担当事務次官&緊急援助調整官)がパレスチナ人を「野外刑務所」に閉じ込めることでイスラエルを非難しました。ジョン・ホームズは火曜日ガザを見てまわった後、ニュースネットワーク、アルジャジーラの英語番組に登場しました。
緊急援助調整官ジョン・ホームズ:「彼らは一種の野外刑務所に住んでいます。今ではもう3年間罰せられてきているこの種の集団懲罰を彼らはまだ受けてきています。そしてそれは意図とは逆の結果を招いています。イスラエルにとっても含め、逆効果です、というのもそれはもっぱら絶望を育てるからです。ガザでの目的がなんであれ、彼らの目的の助けになっていません。従って、確かに変化する必要があります、実際、非常にすばやく変わらなければなりません。それが主要なポイントだと私は思います、そして彼らがこれまで採用してきている態度の類を再考してくれるものと私たちは真に期待します。」

◇2009年右翼の過激派グループが244%の伸び

国内の右翼の過激派グループの数で米国が大きな上昇に遭遇していると新たな報告書は書いています。南部貧困法律センターによると、反政府「愛国者」グループが2009年に512団体まで増えました、244%の増加です。右翼の武装組織(民兵組織)が同期間に127と3倍に増えました。

◇ロサンジェルスが教師5200人の一時解雇を通告

カリフォルニアでは、ロサンジェルス公立学校委員会が6億4000万ドルの予算不足額のまっ最中に大量レイオフについて教師に通告する準備をしています。火曜日、ロスの統一される学区は、教師5200人まで、ありうるレイオフの通知を送ることを票決しました。

◇最高裁がワシントンDCの同性愛結婚法に反対を声明するのを拒絶

そしてコロンビア特別区の同性愛婚の合法化を妨害する行動を最高裁が退けてきています。ゲイの権利の対抗勢力(反対者)は、訴えを保留にしてその地区が法律を制定するのを妨害しようと努めてきていました。最初の結婚許可証は今日発行されると思われます。

(以上、デモクラシーナウ!03 March 2010 ヘッドライン)

2010/03/06

君の下着を手放さないで



◇米デルタ機テロ未遂 爆発しても「損傷なし」

英BBC放送は4日、「昨年クリスマスの日の米デルタ機爆破テロ未遂事件で不発だった爆弾が仮に爆発しても、機体はさほど損傷しなかった」との独自の実験結果を伝えた。

この事件では、ナイジェリア人被告(23)が、下着の中にPETNと呼ばれる粉末状の高性能爆薬をしのばせ、着陸体勢に入ったところで、酸性の液体を注入。化学反応で爆発を試みたが、失敗した。

事件が起きた飛行機はエアバスA330だったが、BBCは英国内で廃棄処分となったボーイング747の胴体を使った。

爆発物の専門家の監修を受けながら、被告が座っていた左翼付け根付近の窓際席に、事件で使われたのと同量のPETNを人形に取り付けて爆発させたところ、アルミ製機体に損傷はできず、爆発が起きても着陸可能と判定された。

爆発物の量についてBBCは明らかにしていないが、米ABC放送は、約80グラムと報道していた。

BBCは悪用を避けるためとして、詳細な実験データは各国の航空当局などに限り提供する方針だ。

(東京新聞 2010年3月5日)

写真は、下着爆弾の不手際でやけどの外科治療後だんまりを続けたアブダルムタラブ(BBC)

関連記事が右枠にリンクされるメールマガジン「NewsFanzine」にあります。
どうぞ、お読みください。タイトルは「君の下着を手放さないで これは国家の非常事態ではない」

2010/03/04

マドンナとリブニ




◇「スティッキー&スウィート・ツアー」のコンサートのためイスラエルを訪れている歌手マドンナが2009年8月31日、同国テルアビブで中道右派カディマのツィピ・リブニ党首と面会した。

リブニ党首は、面会は素晴らしくマドンナには好印象を受けたと語り、夫とともにテルアビブで開催されるコンサートに招待されたことも明かした。

「スティッキー&スウィート・ツアー」のラストを飾るテルアビブでのコンサートは9月1日、2日に開催される。

(AFP 2009年9月1日)

イスラエルのツィピ・リブニ(49)前外相は2009年7月29日、ラジオのイスラエル軍放送で、同国の対外特務機関モサドのエージェント(スパイ)だったことを認めた。

リブニ前外相は、モサドに4年間務め、また訓練を受けて海外で活動したことも明らかにした。関与した活動内容については一切明らかにしなかった。

また、「結婚を機にモサドを辞めた。そのような生活を続けられないと思ったから」と語った。

イスラエル国内外のメディアは、リブニが1980ー84年の間、モサドで活動していたと報じていたが、彼女はこれについて公に認める発言はしていなかった。

(AFP 2009年7月30日)

写真中央のマドンナが肩に手を置く女性が悪名高きモサドの元スパイ、リブニ前外相
どちらも驚くべきタフな女性ではある...
イスラエルの国家テロ関連の記事をまもなくメールマガジンにて配信します
おっそろしいテログループを率いていたのが歴代の首相なのがイスラエル

2010/03/02

アメリカとイスラエルは永遠にグル



◇マグニチュード8.8のチリ地震で700人以上が殺される

チリでは土曜早朝の地震から死亡者数が700人を上回っており高まると予想されます。200万人ほどがホームレス状態にされてきています。マグニチュード8.8の地震は記録に残る過去の地震でも最強のひとつです。50万戸以上の家屋が倒壊するかひどく損壊を受けました。救助隊員らが崩壊した建物の瓦礫の下から生存者を捜していますが、一連の強い余震が救出作業の足かせになってきています。地震は病院、学校、道路、他のインフラと、広範囲の損壊を引き起こしました。日干しレンガ造りの家が最も影響をこうむってきており、先住民の全住民が最も危険であると当局は言いました。チリの南部エリアでは地震による津波が追加的なダメージを引き起こしました。地震は、チリのミッシェル・バチェレ大統領が大統領職を退く2週間未満に襲いました。日曜、彼女は一連の緊急措置を発表しました。
チリ大統領ミッシェル・バチェレ:「この国の歴史で最大の活動のひとつ、公と民と両方のセクターによる桁外れの活動が欠かせないダメージを引き起こしている大規模なカタストロフィーに私たちは直面しています。この行動は現在と今後一時期の両方に必要とされるでしょう。大至急迅速な対応が欠かせない、チリの歴史において前例のない緊急事態に私たちは直面しています。」

(デモクラシーナウ!ヘッドライン 01 March 2010)

◇チリ巨大地震の死者、700人超す 「想像を絶する」と大統領

南米チリ中部沿岸で2月27日未明に発生したマグニチュード(M)8.8の巨大地震について、バチェレ同国大統領は28日、死者数が708人に増加したことを明らかにした。大統領は「想像を絶する災害」だと述べたうえで、最も深刻な打撃を受けた地域の惨状が続くとの見解を示し、秩序回復と支援物資輸送を急ぐ考えを明らかにした。

一部被災地で略奪が発生するなか、大統領は基本的食料品の在庫分を被災者に提供することで国内大手スーパーマーケットと合意したと述べた。大統領はまた、地震発生から36時間が経過するなか、停電の復旧が依然大きな課題になっていると語った。

大統領はさらに、世界各地から多数寄せられた救援の申し入れを必要に応じて受け入れる方針を表明。同国軍が治安維持と併せて食糧輸送を支援すると述べ、現在閉鎖されている首都サンティアゴの空港の早期再開に期待感を示した。

一方、今年1月に大統領に当選し、3月に就任する予定のピニェラ次期大統領は28日午後、地元ラジオ局のインタビューで「チリは歴史上数々の逆境に見舞われ、われわれは逆境への対処を体得してきた」と述べ、国民を励ます姿勢を表明した。

チリ赤十字によると、地震で大きな被害を受けた家屋は50万戸前後。M4.9以上の余震は90回以上観測されている。28日午後現在で確認されている死者708人のうち、541人はマウレ州、64人はビオビオ州と、南中部の両州に集中している。バチェレ大統領は、死者数が今後も増加するとの見通しを 示した。

震源地に近いビオビオ州の州都コンセプシオンの市長は、最大の懸念事項が治安問題であると指摘。被害を受けたスーパーマーケットでは水や食料品の略奪が発生しており、同日午前には治安当局が催涙ガスと放水で事態を鎮圧した。小規模の商店主の中には、店を守るため銃で自衛している者もいる。ピニェラ次期大統領は夜間に略奪が増加する可能性を指摘し、秩序回復に向けて政府の支援を求める考えを明らかにした。

(CNN 2010年3月1日)

◇カンダハル襲撃の立案を米国が始める

アフガンのマルジャ(南部ヘルマンド州)エリアへの最近の米国の攻撃はもっと大規模な軍事行動への前兆であるとワシントンポスト紙は報じます。合衆国は今年もっと後にカンダハルでのより重要でより複雑な攻撃のため当初の立案を始めてきているとオバマ政権の高官は言います。マルジャでは1万1000人の米軍とアフガン軍が戦って、2001年以降最大の米国とNATOの軍事行動にしています。カンダハルの街の大きさはマルジャの10倍です。

◇オバマがパトリオット(愛国者)法の延長に署名

論議を呼ぶ法律を改正する努力を上院がやめた後、パトリオット法の幾つかの条項の一年延長にバラク・オバマ大統領が署名してきています。プライバシーの権利擁護グループは上院に法案の215項を書き直すようせき立ててきました。215項は令状なしに政府が広範囲の民間ビジネス記録に密かにアクセスするのを許します。でも、民主党上院議員は法案を書き直すのに十分な票数に達することができませんでした。その法律に残ったままのもうひとつ論議を戦わせる条項は、いわゆる「一匹狼」条項とやらの下、テロリストやスパイとどのような関連もなしに政府が人を密かに盗聴するのを許します。

◇ドバイの殺人容疑者2人が米国に入国

ハマスの幹部の暗殺とやらのためドバイ警察によって捜索される26人の容疑者のうち、少なくとも2人が彼の死の直後に米国に入国していたらしいとウォールストリートジャーナル紙が報じます。その容疑者のひとりは、ドバイホテルの部屋でアル・マブーフの死体が発見された一日後の1月21日に米国に入国しているとのことです。イスラエルの諜報機関モサドが殺害に味方しているのは99%確かとドバイの警察本部長は言っています。

◇ゴールドストーン報告のガザ戦争犯罪決議文を国連が承認

ゴールドストーン報告で詳細に文書で証明されるように、昨年イスラエルのガザ攻撃の間に犯された戦争犯罪に偏らない調査を行うことをイスラエルとパレスチナに求める決議案を金曜、国連総会が承認しました。

カナダ、ナウル、パナマ、マケドニア、ミクロネシアと共に、米国は決議文に反対票を投じることでイスラエルの仲間入りをしました。ゴールドストーンの報告は「深刻に欠陥がある」との米国の見解を、米国大使代理アレハンドロ・ヴォルフは繰り返しました。
アレハンドロ・ヴォルフ:「そのアンバランスなイスラエルへの焦点、イスラエルの意図と行動について注意を引きつけるネガティブな推論で得た結果、ガザ紛争の非対称性に相当に対処するのを怠ること、そしてわざと一般市民を標的にすることや一般市民が大量に居住する都会エリアの活動を支えとすることで適切な責任はハマスにあるとするのを怠ることを含める、欠点について、私たちはあらかじめ特に言及してきています。」
パレスチナ当局の恒久的国連オブザーバー、リヤド・マンスールは、イスラエルを批判して行動を要求しました。
リヤド・マンスール:「法律より行動です、東エルサレムを含めるパレスチナ占領地でイスラエルが40年間以上も圧迫してきているパレスチナ人にイスラエルは計り知れない苦しみと掠奪の跡を負わせてきています、そしてイスラエルの方針は国際法の適用と信頼性を深刻に陰険な手段で傷つけてきています。イスラエルによるふるまいのこの破壊的で我慢のならないパターンをもうそろそろ終わらせて転換する潮時です、そして罪のない一般市民に対する戦争犯罪の犯行に責任のある連中を罰して、あの犯罪の多数の犠牲者のために正義を保証することで説明責任を確実にすることから始めます。」

◇エルバラダイ前事務局長がエジプトで大統領選出馬を考える

エジプトからのニュースでは、IAEA(国際原子力機関)前事務局長のエルバラダイが土曜日、大統領選に出馬して1981年以来ずっとエジプトを治めるムバラクに挑むかどうかまだ決めていないと言いました。無党派の人の出馬と国際的な監視を可能にさせるため、どのような勧誘に対してもエルバラダイは憲法修正を含めるきびしい条件を設けてきています。
モハメッド・エルバラダイ:「私の最優先と基本ゴールは、エジプトを民主的なシステムに変えることです。私が出馬するか否かはそれどころか第3の問題です。そして私の周りで人々が一体化して大統領として出馬してほしいと望むなら出馬しようと私が言ったようになればです。仮に私が出馬して人々が能力について判断するとして、私が適切な大統領になるかどうかは、そうですね、あとになってみないとわからない。」

◇ハイチの洪水が11人を殺す

ハイチでは、大規模な洪水が少なくともハイチ第3の都市Les Cayesの11人を殺してきています。激しい雨がLes Cayesの街を60インチ以上も水浸しにして、街の病院と刑務所を浸水させました。その街は地震によってひどく影響を受けてはいませんでした。

(以上、デモクラシーナウ!ヘッドライン 01 March 2010)

写真はバグダッドのストリート、日曜の議会選候補者のポスターが有権者の注目を競い合っている
(NYTimes 02 March 2010)

2010/03/01

"とんでもない"はお互いさま



◇イランの反逆者が「米国の関連を認める」

イラン政府と戦うイスラム教スンニ派グループのメンバーと言われている人物が、TVで放映された告白のなかで、彼のグループが米国から援助を受けたと言ってきている。

キルギスタンで「高い地位のアメリカ人」と合流する途中にイラン当局が彼を逮捕したとジュンダラのリーダー、アブドルマーレク・リーギは金曜日国営TVで言った。

伝えられるところでは、イラン軍用機がドバイからキルギスタンに向かう便をイラン空港に強制着陸させた後、リーギは逮捕された。

「私たちと共同するとアメリカ人たちは言って、私に軍事装備をタダでくれるつもりだ」と、リーギはあらかじめ録画してあるTVの声明でペルシャ語で言った。

「アメリカ人たちはまた、イランに近いアフガニスタンの国境沿いの基地を私たちに提供すると約束した。」

米国当局者は2009年3月頃にパキスタンで彼と会い、「私たちが参加した最後の大仕事の後」、また合流しようとしていたと彼は言った。

7人のイラン革命防衛隊司令官と幾人かの部族指導者を含む42人を殺害した2009年ピシンの町の攻撃に責任があるとジュンダラは主張した。

”とんでもない偽り”



もっと早くに米国当局は、リーギが彼の逮捕のちょうど24時間前に米軍基地を訪れていたとのイラン外相による主張を簡単に片づけた。

「リーギが逮捕されるより先に米国の軍事施設にいたとのイランの主張はとんでもない偽り」と、ペンタゴンの報道官ジェフ・マレルは言った。

ワシントンがジュンダラとかイランで戦う反政府グループを支援したとの非難は「イランのプロパガンダ以外の何物でもない」と彼は言った。「ジュンダラを考案するとか支援するとかで私たちが何らかの役割を演じたとの申し立てもまた、笑うべきイランの作り話の長いリストのなかのひとつにすぎない。」

イスラム共和国政府の反対勢力を支援することで不安を駆りたてると、イランは繰り返し、米国、英国、イスラエルを非難してきている。

アフガニスタンとパキスタンの国境沿い(イラン南部)シスタンバルチスタン州でかなりの人口をなすイランのスンニ派バルーチー族の権利を獲得するため戦っているとジュンダラは言う。

パキスタンは今週早い時期にリーギの逮捕を手助けしたと言ったが、提供した援助の詳細を何もくれなかった。

伝えられるところではパキスタンのバルチスタン州から活動するのをジュンダラに許すせいで、テヘランは以前にパキスタンを非難してきている。

ウラニウムの備蓄量をさらに高めるとの決定からワシントンがテヘランへのプレッシャーを増大させるとき、最新の非難が起こる。核プログラムについて膠着状態を解決する国連が支援する取り決めをイランが拒絶してきているのをそれが示すという動きだ。

プログラムは核兵器開発の口実だと信じると米国とその同盟国は言ってきているが、イランはその動機はもっぱら平和にあると強く主張する。

写真は、伝えられるところでは、彼が旅行していた便をイランが進路を変えさせた後、逮捕されたリーギ(右の男性)

(ALJAZEERA NEWS 26 February 2010)

◇イラン南部シスタンバルチスタン州で発生した同国の革命防衛隊を狙った自爆攻撃について、イランの最高指導者アリ・ハメネイ師は、攻撃への米情報機関の関与を指摘した。国営イラン学生通信(ISNA)が19日報じた。また、軍高官の1人も、パキスタン、英国、米国が自爆攻撃を行ったイスラム教スンニ派武装組織ジュンダラ(Jundallah、「神の兵士たち」)を支援していたと非難した。

イランのマフムード・アフマディネジャド大統領は、パキスタンのアシフ・アリ・ザルダリ大統領と電話会談を行い、攻撃の首謀者がパキスタン国内にいると指摘し、ザルダリ大統領に対し「ただちに対処する」必要があると語った。アフマディネジャド大統領はまた、計画はパキスタン国内で計画されと主張している。

スンニ派が多数を占めるシスタンバルチスタン州ピシンの体育館で18日に起きた自爆攻撃では、革命防衛隊幹部を含む42人が死亡した。イラン政府によると、イランのシーア派支配に武装闘争を行ってきたジュンダラを率いるアブドルマーレク・リーギが犯行声明を出したという。ジュンダラはここ数年、革命防衛隊に対する攻撃をくり返している。

革命防衛隊は、1979年のイラン革命後、イスラム体制を国内外の脅威から防衛するために設立された精鋭部隊。

(AFP 2009年10月20日)