見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの見つけたとき、それを作品にしたり、思わずなにかの形にして人に伝えたくなります。 見つけたとき感じたしあわせ感覚がひとしずくでも誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

2010/04/06

テニアン島移設案?!



たまには沖縄の新聞を読もう 

◇島人の目 月のため息が聞こえてくるグアム

「グアムの海の底にはたくさんの涙が沈んでいる。人間が繰り返す過ちを一体いつまで見届ければいいのだろう。そんな月のため息が聞こえてくるようだ」。米軍基地拡張建設が進むグアムの様子を知らせてきた友人がこうつぶやいた。


美しい自然と島の人々が共に歩んできた歴史を刻むたくさんの美しい伝説を持つグアムの島では今、武器を運ぶ道を造るために木が切り倒され、島を駆け抜ける風は潮のにおいの代わりによどんだ空気を運んでくるのだという。


「目先の豊かさに心を奪われた人々と、島の誇りを守り抜こうという人々で島は分断している」と語る友人は、遠い沖縄へ思いをはせながら「僕らが声を上げても、遠く離れた米国本土にある中央政府には届かない。イエスかノーかという意思表示さえできない。少なくとも政府が耳を傾けてくれる沖縄はグアムよりも恵まれている」と複雑な心境を吐露した。


スペインの支配下から米西戦争でアメリカの領土となったグアムでは、先住民のチャモロ人はチャモロ語を話すと体罰が加えられたりしたという差別的体験を持つという。「グアムは米領だけどアメリカの民主主義はもたらされなかった。心の底では誰も米軍基地の増強なんて望んでいないんだよ」。友人はそう説明しながら、軍需産業による経済的発展を願う大人たちに対し、祖先が残してくれた自然を守り抜こうと反対運動を展開する若者たちの間で島の歴史を学び直す動きが活発化していると話してくれた。


戦争で島の自然が破壊されていく日々を見守ってきた星たちに願いをささげながら、進むべき道を模索し続けるグアムの人々。そんな島を見守る月は、今夜もため息をつきながら人々の足元を優しく照らし続けている。


(琉球新報2010年4月5日 平安名純代ロサンゼルス通信員)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-160385-storytopic-1.html

◇転換期の安保2010:オキナワの苦難、ここにも グアム、米軍が「水」支配

「沖縄が抱える重荷を分かち合いたいと思う。でも長い間、米軍基地を受け入れてきた私たちは疲れ果ててしまった」。グアムに暮らす女性、デビー・ キナータさんがいう。

1898年に米西戦争で米国の植民地となった島は、第二次大戦では旧日本軍による占領と米軍の奪還を経験した。今では島の3割を米軍用地が占め、アジア太平洋の軍事拠点となっている。

米領ながら「準州」扱いのグアム。連邦下院に地元から送られる代表には議決権はない。米大統領選挙では、住民に投票権もない。マリアナ諸島に暮らす先住民族チャモロ人の血を受け継ぐキナータさんは「自分の人生を決める選択肢がない。島に生きる人々のとても悲しい物語です」という。

沖縄もまた薩摩藩侵攻を経て日本に組み込まれ、大戦中は陸上戦を経験、戦後は在日米軍基地の約7割が集中する。グアム大のベベクアル教授(グアム史)は「今も植民地のような状態が続いている。沖縄とグアムは似ている」と指摘する。

グアムでしばしば語られる「米国による支配」の象徴が「水」。島の飲料水の水源は北部の地下水と南部の湖。うち湖は米軍用地の敷地内にあり、グアム州政府は米軍から水を購入している。乾期に水不足に陥ると米軍は軍用の給水を優先し、住民への給水を止めてしまうという。

グアムの人々の米国本土に対する思いは複雑だ。ベベクアル教授によると、第二次大戦後、グアムの人々は、自由と繁栄を象徴する「アメリカ人になりたい」と英語の習得に取り組んだ。結果、伝統的なチャモロ語を話す人々の数は激減した。「アメリカ人化」し、土地を提供しながらも、「なぜ虐げられるの か」という疑念も尽きることはない。

一方で、莫大(ばくだい)な投資による基地経済に期待する声があるのも事実。グアム商工会議所軍事委員会のピーソン委員長は「大統領を選べない代わりに、徴収した所得税や法人税をワシントンに送らなくても良い。受け入れれば、さらに税収だけでも相当な額になる。壊れたままになっている水道管も修理できる」と語る。グアムもまた基地受け入れをめぐって揺れている。

アプラ港米海軍基地が近くにある中心部ハガニアの砂浜で、漁師のビロリアさんが仲間と漁の準備をしていた。空母受け入れのための海底しゅんせつで、希少な魚も絶滅の危機にあるという。「多くの利点もあるだろう。何も基地が悪いというんじゃない。ただ、チャモロ人が受け継いできた美しい海を守りた いだけだ」

・雇用のため「重荷負う」--テニアン

米領グアムとは対照的に、北隣の米自治領北マリアナ連邦は米海兵隊や普天間飛行場の受け入れに積極的だ。同連邦のフィティアル知事やテニアン島のデラクルス市長も「受け入れたい」と意欲を示す。背景には観光業不振など経済の悪化がある。

サイパン島の中心部ガラパン地区。免税店が建ち並ぶが、観光客はまばら。フローレンス市長は「島は道路だけとなった。まるで骸骨(がいこつ)だ」と嘆く。北マリアナ連邦への観光客は航空機の就航数が減少し、かつて年間約74万人を数えたが現在は約40万人。グアムの約110万人と大差がある。

北マリアナ連邦自治政府は昨年11月、基地招致担当ポストを設置した。

サイパン島から4人乗り小型飛行機で約15分。大半が緑に覆われたテニアン島は、広島と長崎に原子爆弾を投下した米軍のエノラゲイ号とボックスカー号が飛び立った地でもある。中国人資本のホテル以外に目立った建物はない。失業率は約20%。平均収入は年間約1万5000ドル(約140万円)に過ぎない。デラクルス市長は「人々は生きるのに精いっぱい。恒久的な基地を誘致すれば雇用を確保できる」と語る。

米軍は約30年前に島面積の6割を軍用地として借りたが、有効利用されておらず、現行の米軍再編計画でも一時的な射撃訓練が行われるだけ。デラクルス市長は「2400メートル級の滑走路が4本もあり、ヘリ部隊の受け入れも可能。日米両政府が普天間飛行場の移設先を探しているなら、テニアンを」と訴える。

基地を受け入れれば、米兵による犯罪などネガティブな面も不安視される。デラクルス市長は「必要な法律や手続きで防ぐことはできる」と反論し、 「それでも」と続けた。

「日本が米国の防衛力を必要としながら、米軍をこれ以上受け入れたくないのは奇妙かもしれない。だからこそ、私たちと日本は協力できる。原爆を落とした爆撃機が飛び立った島の人々の善意の証しとして、私たちは日本人の重荷を引き受けたいのだ」

(毎日新聞 2010年4月3日)

写真は、人口が密集した住宅エリアに囲まれる普天間空軍基地
沖縄の米軍基地論戦にやさしい解決策はまったくなし(BBC News 30 March 2010)