見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの見つけたとき、それを作品にしたり、思わずなにかの形にして人に伝えたくなります。 見つけたとき感じたしあわせ感覚がひとしずくでも誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

2014/04/02

水兵らが東電を訴える

◇福島の放射性降下物:通常より高濃度の放射線に曝された後、病的状態にあるアメリカの水兵らが東電を訴える
デモクラシーナウ!19 March 2014
福島原子力発電所の3つの部分からなるメルトダウンから3年、放射能汚染レベルについて海軍を欺いたとして多数の水兵と海兵隊員が発電所を運営する東京電力を訴えている。災害の間、人道援助を提供した軍人の多くが日本から戻って以降、白血病から、失明、生殖不能、先天性欠損症までの甚大な被害をもたらす病気を経験してきている。番組には3人のゲストが参加します。空母ロナルド・レーガンに乗船して任務に就くアメリカ海軍の水兵、スティーヴ・シモンズ中尉、彼は健康の問題に苦しんだあと東電に対する集団訴訟に加わりました。そして水兵の弁護士、チャールズ・ボナー。テンプル大学東京キャンパス社会学教授で現代アジア研究所副所長のカイル・クリーヴランドです。
NERMEEN SHAIKH:3年前の今月、海軍のスティーヴ・シモンズ中尉は、空母ロナルド・レーガンに乗船して日本の沿岸沖に配置されました。マグニチュード9.0の巨大地震と日本の東北海岸を打ちのめす津波から数日後、空母は人道援助を提供します。シモンズは太平洋での海軍演習から転用され、食料小包や衣類や毛布を被災者に配布するために日本の壊滅する海岸線に向かわせられます。その時、彼らは福島第一原子力発電所でのトリプル・メルトダウンという前例のない核の危機の中に入っているのを知りませんでした。
エイミー・グッドマン:帰国後まもなく、スティーヴ・シモンズは運転中に意識を失いました。その後、彼は定期的に胃腸障害と急な高熱を経験し始めます。数ヶ月以内にシモンズの両足はがくりと折れます。彼はもはや歩くことができませんでした。彼は、日本から戻って以降、甚大な被害をもたらす病気を経験しているという最初の多くの反応者のひとりです。
番組『デモクラシーナウ!』はあなたがたゲストを歓迎します。では最初にスティーヴ・シモンズ中尉、福島の救援活動に参加したアメリカ海軍の水兵です。3年前の2011年3月11日に何があったのかお話いただけますか?あなたはどこにいて、何をするために呼ばれたのですか?
スティーヴ・シモンズ中尉:日本の国民に人道支援を提供するため、私たちは太平洋での訓練から呼び出されて行きました。
記憶が正しければ、私たちが到着したのは3月12日なので、1号機の電源が落ちて溶融した翌日です。健康被害へのリスクはないという理解でした。どれくらい近づいていたかについては、正直なところ毎回矛盾する話を聞きます。160マイルも離れていなかったという報告もあります。
NERMEEN SHAIKH:シモンズ中尉、その時あなたは少しでも放射線にさらされていたのを認識していませんでした。あなたはいつ健康への影響を感じ始めましたか?そしてその後、どんなことが生じてきていますか? 
スティーヴ・シモンズ中尉:2011年の11月になるまではありませんでした。私たちは9月に戻りました。11月末にはなにか具合が悪いことに気づき始めていました。実際、私は追い込まれていました。まず最初はルート50をアーリントンに向かって運転していて意識を失い、トラックを縁石に乗り上げました。続いて、もしかして風邪かもしれないとたぶん私が思った病気にかかって、発熱状態になり始めました。予想外に20ポンド~25ポンドほど体重が減って、寝汗や睡眠障害を経験するようになり、私は何が起こっているのかわかろうとして検査や他の研究のために何度も医師のところまで往復しました。そして2012年1月から3月までに3度入院しました。
最初の入院ではなにもわかりませんでした。彼らが推定して考え出した唯一のものは副鼻腔感染症でした、そして放射線が少しでもそれに関係していたとの考えをいわば吹き飛ばしました。退院して3日後、リンパ節が腫れ出して、それにひどい高熱状態のままだったので、私は病院に戻っていました。
2度目の入院の間、実はトイレから出てきたとき私の脚ががくりと折れました。2012年の夏までにはフルタイムで車いすを使い始めなければなりませんでした。立とうとしたり、なにかしようとするたびに、私の脚は震えて筋肉が痙攣し始めます。そしてあれから症状はまさしく進行します、そして筋力の低下はいま、両足、両腕、両手に影響を及ぼします。そしてすべてがまだ進んでいます、おまけに脳から膀胱に向かうシグナルの問題があります。
エイミー・グッドマン:サンフランシスコからチャールズ・ボナーもこの会話に引き入れたいと思います。チャールズ・ボナー、この集団訴訟の一部である他の人たちについてお話しいただけますか?彼らが経験している病気は何ですか?
チャールズ・ボナー:当初私たちはわずか8人の原告で始めました、2012年12月の時点で私たちに連絡してきた8人です。2013年6月までには様々な病気を抱えて51人の水兵と海兵隊員が私たちに連絡してきました。その病気には甲状腺ガン、睾丸ガン、脳腫瘍、異常な子宮の問題、過度の子宮出血、あらゆる種類の婦人科問題が入ります、20歳、22歳、23歳の年齢の人びとやシモンズ中尉の年齢の35歳でも見ない問題です。それで、現在、私たちはおよそ100人の水兵のために集団訴訟を起こしています。そして今でも私たちは毎日、様々な問題を抱える水兵からの電話を受けています。ちょうど数日前にも息子が肺がんの父親から電話をもらいました。この"ともだち"作戦(つまりこれは私たちの友だちを助ける作戦でした)に応じたアメリカ水兵の総数はおよそ2万4000人でした。しかし日本の基地にいた軍人の男女を入れると合計7万人のアメリカ軍人がいました。
彼ら全員が放射線に曝されました。このことは非常に明瞭なことなので、私たちは彼ら全員を代表してこの集団訴訟を起こしています。私たちは放射線のレベルを論争できます。そして私たちは海軍を訴えていませんし、なんであれ不適切なことをしてきたと海軍を非難していません。もちろん、海軍の誰もこの若い水兵や海兵隊員に故意に高濃度の放射線をさらしたりしません、ある司令官は放射線は通常の30倍と判断します。そして東電が国民やアメリカ海軍に教えた濃度の30倍以上です。これらの若い水兵の負傷に責任のある当事者は、世界第4位の電力会社、東京電力株式会社です。
メルトダウンが活動中だったことを、東電はUS海軍を含め、国民に知らせることを怠りました。
一方、空母ロナルド・レーガンに乗船するこの若い水兵たちはこの未知の世界に巡航しています。このまったくの災害が起こっていることを彼らは知りません。ですが、もっと重要なのは、メルトダウンが活動中であること、地震から4時間以内に1号機がメルトダウンしていること、そしてあらゆる類の爆発があったことを、東電は彼らに教えません。大放射が起こっています。300トンの放射能汚染水を含め、太平洋に放出される放射性物質の放出があります。そしてシモンズ氏があなた方に話すように、この若い水兵たちはこの海水を脱塩した水を使用していました。彼らはその水で入浴していました。歯を磨いていました。それで料理していました。空気はもちろん、食べ物と水の両方を介してこの放射線を摂取していました。そしていま、彼らはみんな病気です。ですから、私たちは水兵たちを優先しなければなりません。いまは私たちの友人、アメリカ人の水兵と海兵隊員の若者を助ける作戦という、これは"ともだち"作戦です。彼らにはありとあらゆる類いの問題があります。
(休憩)
エイミー・グッドマン:シモンズ氏の弁護士、集団訴訟のチャールズ・ボナー弁護士が番組に参加しています。彼はサンフランシスコにいます。そして最近「Mobilizing Nuclear Bias: The Fukushima Nuclear Crisis and the Politics of Uncertainty(福島の核の危機と不確実性の政治力学)」を書いたカイル・クリーヴランド教授に進みます。
カイル・クリーヴランド、日本からご参加いただきありがとうございます。米軍とアメリカ政府当局とのあいだで行われていた舞台裏の会話とは。そしてあなたはどのようにしてこの会話を手に入れたのですか?
カイル・クリーヴランド:あなたが言及している文書は情報公開法を通じてです、そしてこれらは危機が始まってたぶん6ヶ月か8ヶ月後に原子力規制委員会から入手可能となった文書でした。そしてこの文書の中で、これらはNRS当局とワシントンDC、東京の大使館と外交手腕のあるスタッフとのあいだの電話会話を書き起こして文書化されています。
そしてこの文書が明らかにするのは、まさしく状況がどれほど悪いかを判断しようとしていたこれらの専門家による多くの舞台裏の議論があったということです。
それで実際、私の調査では外交官や外交手腕のあるスタッフ、様々な原子力機関内の人々を含む160人に面談しました。特に危機が始まって最初の10日かそこらに、まさにこれがどれくらいひどいか、あの値は何を意味するのか、彼らはこれを実証できるのかどうかについて舞台裏で相当量の意見の相違と相当量の議論があったのを知るのは、まったく興味深いことでした。さて、この期間に、空母ロナルド・レーガンの水兵が被爆することになるだなんて、彼らがなんとか必死に状況に対処しようとしていた期間におけるあの東電を心に留めておくように。彼らは全電源喪失、機能停止状態でした。たとえ彼らが放射線レベルが確かに高かったのを知っていたとしても、それを実際に表していませんでした。
東電について話すとき、これに対処するため本当に24時間必死になって働いた発電所の操業スタッフと、実際に状況を軽視していた東電の代弁者を含む東電の役員とを区別することが私は重要だと思います。そして当時、状況に従事した誰でもが確かに混乱していました。彼らが、本当にいかにひどいかを軽視していたことは、どの段階においても非常に挫折感を起こさせました。従って、最初の数日はアメリカにはそれに基づいて行動できる情報が実際なにもありませんでした。従って、非常に迅速にアメリカ独自の放射線評価を設定しました。ご存知のように、アメリカは日本に相当な軍事的強み、82の軍事基地を所有します、そして3月13日か14日あたりに始まり、その後何ヶ月も役に立つ、アメリカ独自の放射線測定値は、東電が事実と認めるものより状況が本当にかなりひどかったことを明らかにしています。
エイミー・グッドマン:それで、クリーヴランド教授、日本の原子力発電会社だった東電と同様に、なぜアメリカ海軍にはこれに対して責任がないのですか?
カイル・クリーヴランド:本当の問題は、アメリカ政府、特にアメリカ海軍が、その時利用できる情報を考慮して、適切な保護する行動措置を講じたかどうかだと私は思います。いま振り返ってみてこの種の厳しい判断をするのは簡単です、いま私たちにはさらに多くの情報があるし、これについてさらに多くの透明性があります。ですが、当時、彼らにはそれに基づいて行動するための情報がごくわずかしかありませんでした。
そして私が収集したもの、少なくとも面談からは、彼らはただちに保護する措置を講じようとしていました。彼らは空母を沖へ動かしました。放射能に汚染されたとわかった後、給水を止めました。閉じ込められた軍人の多くには甲状腺の線量から保護するためにヨウ素カリウムを提供しました。そしてまた、ともだち登録簿という放射線登録簿も始めました。オンラインのインタラクティヴウェブサイトとして今も一般公開されており、軍人や当時日本にいて発電所に接近した誰でもが、所定の日にちにどこにいたのか、推定被爆線量はどれくらいかに関心を持って調べるのを可能にさせます。従って、アメリカ政府と海軍は彼らにできることはなんでもしていたと私は思います。
エイミー・グッドマン:3月11日、私たちがメルトダウンの3周年に行った菅直人のインタヴューに戻りたいと思います。福島第一にメルトダウンが起こったとき、菅直人は日本の首相でした。数週間前に日本から放送したとき、私は東京で彼と話しました。菅直人元首相は、大災害の時に東電が彼に提供した情報のずさんさについて話しました。
菅直人:(英語に訳されたテキスト)東電本部から、そして特に元副社長だった武井氏(現在、富士石油の社外取締役に天下りし家族と共に海外在住)から私が伝え聞いていたことから、本当になにが現場の状況だったかについて知らされる正確な情報はほとんどなかった。
エイミー・グッドマン:日本の元首相、菅直人は、東電幹部から正確な情報を得ることができなかったので、現場で働く人たちと話すために原子力発電所に飛んだと続けました。そこで彼は正確な情報を得ることができました。シモンズ中尉に戻りたいと思います。今から3年前の2011年3月11日以前、あなたの健康はどんなでしたか?
スティーヴ・シモンズ中尉:3月以前の私は、現に比較的良好な健康と私が見なしたいものでした。私はまったく精力的な働きを必要としていました。そして2010年の夏、ハワイで降りた日には、私は友だちと会って出かけ、トレールランをしました、その翌日はダイヤモンドヘッドにハイキングしました。つまり、私はとんでもなく元気でした。
エイミー・グッドマン:空母レーガンにいたのは何人ですか?
スティーヴ・シモンズ中尉:およそ5千500人。

▽全文はこちらからお読みください。
http://www.democracynow.org/2014/3/19/fukushima_fallout_ailing_us_sailors_sue