見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの見つけたとき、それを作品にしたり、思わずなにかの形にして人に伝えたくなります。 見つけたとき感じたしあわせ感覚がひとしずくでも誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

2014/05/27

ブッシュとライアン、ホラーだ


写真:5月24日、世界中で数百万人にがモンサントに反対して行進する。参加して! #EndMonsanto @Stop_Monsanto pic.twitter.com/OmFdXiCl1L
◇貧困は気持ちではない NY Times 18 May 2014
説教好きと名門が兼ね備わるコンビ、ポール・ライアンとジェブ・ブッシュが、先週、マンハッタン研究所の集まりで演説し、この国の貧困と戦う上で考慮するのはもっと多くの友愛と伝統的な結婚ばかりと、メイベリーのような処方薬を提供する。

ライアンは、「絶望と学習性無力感の悪循環をやめてバーチャルな希望のサイクルと繁盛に取りかかる最良の方法は、友愛、責任、慈悲の特性を採用することによるものだ」と言った。
りっぱなライアン氏。ほんと、ジーンときた。しかし、アメリカの貧乏階級いずれも皆が言うように、電気代の支払いに友愛トークン(商品券)は使えないし、単純にレジ係を抱きしめて食品雑貨類を持ち去ることはできない。
さらにまた、友愛や責任や情愛のある関係の欠乏症に苦しむと、その主張は貧困層を最低レベルに卑しめて想定する。とんでもない、それは私が経験して知ってきたことではない。人格がないのでなく、現金がないのを貧困は証明する。
ブッシュとしては、「伝統的な結婚で子どもたちの世話をする情愛のある家族は、私たちに考案できるどのような政府プログラムよりはるかにまし、はるかに効果的な貧困から抜け出るチャンスを引き起こす」と言った。

この主張で私の不安は、「伝統的な結婚」の強調である。情愛のある家族は、どのような構成の結婚でも十分でありえる。家庭のなかのふたりの大人は家族のために時間、配慮、収入を2倍提供できるというのは真実ながら、その大人が必ずしも伝統的な結婚である必要はない。
その通り、結婚には団結や家族を支え強化する効果がある、だが、それを強く望むすべての人に拡大するために猛然と行動すべきとの主張が次に続く。ある場合には、時間と金ということになったとき育児を優先させるならば、別居している両親でも育む環境を子どもに提供することができる。両親がみな、いっしょに住み、いっしょに扶養しなければならないとは限らない。
情愛のある家族には多くの差があり、子どもに必要なものを提供するには多くの手段がある。家族を構築する他のやり方に加えて、すべての結婚の形が有効で貴重なのだ。
ここでもっと大きな問題は社会のセイフティネット(安全保障策)と伝統的価値の一定の並列だ、まるでそれらが互いに相容れないかまたは有害であるかのようにゼロサム関係があった。伝統的価値に背を向けているために公的手当に頼るという論法だ。
貧者のわけはたとえば野心といった最低レベルの有用性がないから、そして金持ちのわけはおびただしい量それがあるから、これがこの国の金持ちと貧者について保守的な考え方の重要部分だ。
1月のPew Research Center/USA Todayの調査は、民主党員や無党派とは違って、人は努力がないために主として貧乏、そして他の人より懸命に働くために主として金持ちと、大部分の共和党員が信じることを見いだした。
特権や構造上の不公平、差別的政策の役割は、ほとんど重要でないようだ、そしてカラダが長く耐えられない骨の折れる仕事でよく苦労するワーキングプアの大変な努力はどうも見えないらしい。

ある意味で貧困層は不完全との構成概念は特に不快きわまるがまんできない態度である。そして拡大によって、もっぱら伝統的に貧困から抜け出る手段、人はただ愛して結婚することができるとの主張は、極度に相手を下に見たふるまいだ。
慈悲と善意の態度で手に入れるこの見解は実際、貧しい人びとの生活を理解することや彼らの窮状への同情に欠けている。

もしも偽善が目立つに足りていなかったとして、貧しい人ほど金持ちより寛大で気前がいいことが明らかにされている。2009年にマクラッチー(McClatchy)が報告したようにだ(下記)。
「いや実のところ、アメリカ労働統計局の消費者支出に関する最新調査が、2007年にアメリカの最も貧しい家庭の五分の一が平均で収入の4.3%を慈善団体に寄付したのを見いだした。最も金持ちの五分の一は、その半分以下の2.1%を寄付した。」
最低の金しかない人たちが最大額を与える、そしてライアンやブッシュのような人たちは足りないことがわかる。
貧困は、手が掛かり、ストレスの多い、気分を押し下げる、たいてい強烈な状態だ。誰もそれを求めたりしない、彼らは貧困の中で生まれるか貧困の中に押しやられる。貧困では、あなたの人生まるごとがうまく対処することや誤りを正すことで実行になる。今日ポットと皿を満たすことに集中しながら、苦境から離れる方法を探す、そして屋根と若干のぬくもりを保ち、明日がもたらすかもしれない次の難題を恐れる。
貧困に取り組むことについて私たちは会話を拡大すべきだが、資産の欠如は価値の欠如のことだとの確信によって、その会話が左右されてはならない。
http://www.nytimes.com/2014/05/19/opinion/blow-poverty-is-not-a-state-of-mind.html?smid=tw-share&_r=0