見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの見つけたとき、それを作品にしたり、思わずなにかの形にして人に伝えたくなります。 見つけたとき感じたしあわせ感覚がひとしずくでも誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

2015/06/21

人種間の戦争を起こしたい


犯人は人種間の戦争を始めたかったと供述している

銃乱射の容疑者ディラン・ルーフの特徴を述べるためにメディア評論家を自認するお偉いさんたちがすでに「精神疾患」の語りを使い始めている。なぜ彼のことをテロ容疑者と呼ばないのか?

◇有色人種の射撃犯は「テロリスト」や「凶悪犯」と呼ばれる。なぜ白人の射撃犯は「精神疾患」と呼ばれるのか?

大量殺人を取り巻くこの人種差別メディアの叙述部分がチャールストン教会銃乱射でばらばらにこわれる。
ワシントンポスト紙 18 June 2015 by Anthea Butler
(Anthea Butler:宗教とアフリカに関する文献研究のペンシルバニア大学准教授)

一人の白人男性が犯したヘイトクライム(憎悪犯罪)として警察はサウスカロライナ州チャールストンのエマニュエル・アフリカン・メソジスト・エピスコパル教会(Emanuel AME Church)での9人のアフリカ系アメリカ人を死に至らしめる銃乱射を調査しています。残念ながらそれはアメリカの歴史において珍しい事件ではありません。黒人教会は久しく、教会がしっかりつなぎ止める黒人コミュニティを恐怖に陥れるための奮闘で教会に火を付けて燃やしたり爆弾を投げて爆破する白人至上主義者の標的でした。アメリカ史において最も悪質なテロ行為は1963年アラバマ州バーミンガムの黒人教会に対して遂行されました。クークラックスクラン(KKK)の仲間が16番地バプティスト教会を爆破したとき4人の少女が殺害される、公民権運動を燃え立たせた悲劇です。しかし大手メディアネットワーク傘下の地方放送局を聞いても水曜の銃乱射の報道に使われる「テロリズム」の言葉は聞こえてきません。主流のニュース機構(とはいえ、ワシントンポスト紙を含め一部はこの矛盾について増大する議論を報道範囲に入れています)によってこの容疑者の白人男性21歳のディラン・ルーフが「テロリストとなりうる人」として叙述されるのをあなた方は聞いていません。そして最近の他の白人男性による銃乱射の報道がたとえどのような指摘としても彼は決してテロリストにはなりません。その代わりとして彼の容疑の行動の説明に入るのは精神疾患になります。彼は人間性を与えられ、病気、虐待または不適切な心の健康のやりくり算段の犠牲者と呼ばれます。
ルーフにはその叙述部分が急いで形成されています。木曜、彼の逮捕後まもなく、FBI元特別捜査官ジョナサン・ギリアムがCNNに登場し、ルーフにはおそらく「なにがしか精神的問題がある」、どんなに悪いことをしたか彼にはわかっていなかったと言います。それはアメリカの白いものの勢力です。

アフリカ系アメリカ人またはイスラム教徒が関与する犯罪を報道するとき、アメリカのメディアネットワーク傘下の地方放送局は異なる方針を実践します。容疑者として彼らは(たとえいつも露骨にその言葉を使わないとしても)テロリストや凶悪犯として急いで性格づけられ、外面的な不公平どころか単に悪意によって誘導されます。白人容疑者は一匹狼であるのに(この銃乱射はただの「一人の悪意に満ちた人物」の行いだったとチャールストンのジョセフ・ライリー市長は強調しました)、黒人やイスラム教徒による暴力は計画的(組織的)で人種や宗教を共有するすべての人から返答や措置を要求します。黒人犠牲者がけなされるにもかかわらずです。なんであれ彼らに降りかかる殺人や攻撃を正当化するほのめかしまたは違反のために、彼らの生涯は隅から隅まで目を通されます。黒人の犠牲者トレイヴォン・マーティンはフーディ(頭部が隠れるパーカー)を着用していました、それが大いに、(無罪になった)ジョージ・ジンマーマンが彼を殺す原因になったとフォックス・ニュースのジェラルド・リベラは締めくくりました。マイケル・ブラウンは葉巻を盗みました、そしてエリック・ガーナーはバラ売りのタバコを販売しました。ニューヨークポスト紙のコラムニスト、ボブ・マクマナスおよび他の多くは、彼らの死をともかくも正当化するために「けたはずれに間違った決断力」と書きました。そして何一つ犯罪を犯さなかった十代の黒人女性、Dajerria Bectonがテキサス州マッキーニーのプールパーティで警察官によってタックルされ抑えつけられたとき、フォックス・ニュースの司会者Megyn Kellyは「どちらも聖人ではない」として彼女を描写しました。

公開討論において、黒人の子どもは犠牲にされたあと多くの場合潜在的に脅威を与える大人に変身させられます、ところが一方、白人の乱射犯はたとえ彼らがじゅうぶん20代であっても子どもとして描かれます。昨年おもちゃの銃で遊んでいる間にクリーブランドで警官に撃たれた12歳の少年タミール・ライスを報道や警察の声明は繰り返し「若者(young man)」と呼びます。ですが、コロラド州オーロラの映画館で十数人を撃ったとき25歳だったジェームズ・ホルムズは、「普通の子」、「典型的なアメリカの子」、「頭の良い子」と叙述したメディアのプロファイルの中の若さによってたびたび定義を下されました。

ディラン・ルーフは同様の取り上げ方を受けています。木曜、CNNのインタビューで共和党のリンジー・グラハム上院議員は、21歳はまさしく「これらのいかれたガキのひとり」だと言い張りました。9人殺害の訴因によるルーフ逮捕以降、ウォールストリートジャーナル紙や他の主要メディアネットワーク傘下の地方放送局は一面見出しで彼を「単独で行動する人」と呼んでいます。

しかし、チャールストン銃乱射について報道するとき、この精神をむしばむ人種差別的なメディアの語りを持ちこたえるのは難しいでしょう。殺された人たちは単に水曜夜の聖書勉強会に参加していただけです。そして伝説などで名高い歴史を伝えられるエマニュエル・アフリカン・メソジスト・エピスコパルという乱射犯の選択はどうも計画的だったようです。それは著名な牧師モリス・ブラウンとチャールストンで失敗したけれど大規模な奴隷の反乱を導き続けたデンマーク・ヴィージーを含める男性の一団によって1818年に創立された南部初のアフリカン・メソジスト・エピスコパル教会でした。教会は北部の奴隷制反対社会のお金で建てられたので、恐ろしい白人によって早くから標的にされました。1822年、ヴィージーの奴隷反乱計画に関与したかどで教会のメンバーが調査されました、そして建物は懲罰で全焼しました。

以上のような関係において、この教会の牧師や信者を殺すことが計画的な憎しみの行為だったことは明白です。「誰かが教会の中に入って祈る人々を銃で撃てる理由はもっぱら憎しみからだ」とライリー市長が指摘しました。でも私たちはさらに進んで行動を起こす必要があります。公民権や人権を促進することに関与する黒人組織に対するテロの歴史を再現する行為、この銃乱射の背後に脅迫のメッセージがありました。白人男性の人殺しをテロリストだと決めつけることに対するメディアの一部によるためらいが目立っています。

すばやく作り上げるニュースの語りにおいて、黒人教会とモスクが歴史的にアメリカにおける人種的暴力の標的であったという事実は見落とされてはいけません。1963年アラバマ州バーミンガムの黒人教会の爆破が最も歴史的に有名ですが、1990年代にもまた一連の教会の火災がありました。コミュニティにつけこむ同様のテロ行為を認めることが2001年9月11日後どうも見落とされているようです。続いて起こる、メディアと政治の分野の心をしっかりとつかむイスラム恐怖症が、「テロリズム」は容疑者が黒ずんだ皮膚の場合にだけ適用されることを示唆しています。

今回、ジャーナリストが人種に動機づくアメリカの暴力の真相を究める質問をすると私は期待します。この男性はこれほど黒人を憎むことをどこで身につけたのですか?彼はサウスカロライナ州会議事堂の上に掲揚し続ける南部連合旗に献身を示していましたか?彼は右翼メディアの無限に繰り返される怠惰で狂暴とのアフリカ系アメリカ人の記述に動かされたでしょうか?

白人男性の銃乱射を、孤立、かき乱される、または社会に見捨てられる精神疾患のせいにする典型的な語りに報道が後退しないことを私は期待します。これはただの「一人の悪意に満ちた人物」の行いではありませんでした。バーミンガム爆破が公民権運動を駆りたてた50年後、それは人種上の憎悪の表れであり、私たちの社会に幅をきかせ続ける白人至上の表れでした。
その全体にわたって浸透し効果を発揮する偏見は、白人の”伝統”のほうが黒人に対する人種上のテロの歴史よりずっと重要であるから州会議事堂に残る南部連合旗で明らかです。アリゾナのモスクの外で白人の”愛国者”がこれ見よがしに練り歩けたのは突撃銃で明らかです、しかるに黒人男性はオハイオのウォルマートで売り物のライフルを持ち上げたために警官によって殺されました。「私たちの国を取り戻す」と大声で言うティーパーティのスローガンで明らかです、合い言葉は9人のアフリカ系アメリカ人を殺したときチャールストンの乱射犯によってそっくり模倣されました。

チャールストンの銃乱射はアメリカの深く染みこんだ人種差別文化とテロの歴史の結果です。それはそれとして報道されるべきです。金曜、チャールストン銃乱射は「疑いもなく、このコミュニティに畏れと恐怖を打ち込もうと計画された」ことを司法省女性報道官エミリー・ピアスが認めました(とはいえ、これまでルーフを告発する9人の殺人容疑の中にテロはまじっていません)。そしてルーフが「人種戦争」を起こすためにあの人たちを殺すことを認めた今、私たちは彼のことを「テロリスト」と呼んでいないといけません。

http://www.washingtonpost.com/posteverything/wp/2015/06/18/call-the-charleston-church-shooting-what-it-is-terrorism/