見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの見つけたとき、それを作品にしたり、思わずなにかの形にして人に伝えたくなります。 見つけたとき感じたしあわせ感覚がひとしずくでも誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

2015/11/10

火と鍛冶の神"ウルカヌス"

◇ブッシュ・シニア(父)の本が、わかっている人物よりずっと危険なディック・チェイニーを明らかにする

新著「Destiny and Power」は、ほぼすべての前任者より権威をもっている副大統領を示して、ブッシュ・ジュニア(息子)の政権がもしかするともっとずっとひどかったことをわかりやすくする

先人のジョージ・ブッシュは息子の間違いをつきあう悪い仲間のせいにする最初の父親ではない、しかも、そのような父らしい特権に対するカウンターブローは常に同様。息子は自分の選んだ友人に重要な意見を言う、ことのほか息子がたまたまアメリカ大統領である時はいつも。

ジョージ・H・W・ブッシュの新しい伝記「Destiny and Power:ジョン・ミーチャムによるジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュのアメリカのオデュッセイア」の個人の引用文は、ホワイトハウスの息子や後継者に対して、彼の保護感情をあきらめなかったことを示す。

ブッシュ・ジュニアの任期期間の最も驚異的な遺産、イラク侵略と拷問に全力を尽くすことは一家を知るもう一つの手段であり、それはジェブ・ブッシュが兄の功績について明確な判断をなんとか避けようとした共和党予備戦の流れから生じる一連のできごとのあとに現れる。父と兄の両者は(近親者の遊説バスに)現れることなく、隔たりを与えようと努めた。

彼がいま非難するホワイトハウスの顧問の幾人かは彼が息子に残した元雇い人であるとき、ブッシュ・シニアにとって苦しい状況はいっそう身を切られるようにつらい。ディック・チェイニーは彼の国防長官であったし、コンドリーザ・ライスは一期目のブッシュ政権のロシア問題専門家でブッシュの国家安全保障顧問および友人であるブレント・スコウクロフトの秘蔵っ子だった。二人はブッシュ・ジュニアが2000年の選挙運動の間に彼のまわりに集めた外交安全保障政策顧問集団の一部分だった。彼らは自らのことを”ウルカヌス(火と鍛冶の神)”と呼んだ。スポックへの敬意ではなく、ローマの神の子と同じくらい手強い(またはブッシュ・シニアなら”iron-ass:鉄石のように冷酷ないやなやつ”と言うかもしれない)とはっきり表明するためだ。

クロフォードのブッシュのテキサス牧場に集まって相談したウルカヌスには親しい友人のリチャード・アーミテージと共にコリン・パウエル元将軍に加えて、元と将来のドナルド・ラムズフェルド国務長官やペンタゴンで彼の副官になる男、指折りのネオコンに凝り固まったポール・ウォルフォウィッツも含まれた。

後者の二人はブッシュ政権でハト派として現れた、だがその時はチェイニーやラムズフェルドやライスも、未熟の申し立てに対して、攻撃されやすい大統領候補の脇のしっかりした指導、密接な連絡の具体化としてみなされた。しかしながら、表面に隠れてまさに最初から根本的変更の計画を立てる。

911より前にもかかわらず、経験のないブッシュは父とはまったく異なる方向に政権を導いた。ブッシュ・シニアとスコウクロフトが多国間の相互自由貿易と外交を大事に育てるのに、ジョージ・W・ブッシュのホワイトハウスはアメリカ例外論を新たな極致に掲げてアメリカの国際社会との深いかかわりを熱狂的にたき火に放り投げて燃やした。政権はいやな気候変動に関する京都会議から逃げ、国際刑事裁判所を確立するローマ国際機関設立文書へのアメリカの支持を取り下げて条約に”無署名”を断言するまでに及ぶ。

この一方的軍縮論者へ向かう傾向は、明らかに若いほうのブッシュの選択だった。最初から、どれほど外交政策を父のそれから区別させるつもりだったかだ。そして911攻撃が起こったとき、アメリカの反応をあんな危険なまでに不安定な過剰の反応に助長したのがこの特質だった。

ひとたび”テロとの戦い”が始まるや、疑いなく、チェイニーとラムズフェルドは、ほぼすべての前任者よりもっと多くの気ままさや権限を与えられていた。ブッシュ・シニアが特にこの目を引く驚くべきもの、はっきりした色彩がある大スタッフを用いて、チェイニーは間違いなく現代の最強の副大統領だった。

チェイニーとラムズフェルドは、高められた権力を使って、イラクと単なるうわさの大量破壊兵器について大統領の机までの情報の流れに偏見をいだかせた。分析官をおどしてもっとタカ派の報告書を出させるために副大統領はラングレーのCIA本部にたびたび足を運んだ、同時にラムズフェルドのペンタゴンはイラク人亡命者やイデオロギーのフリーランサー(自由に行動する人)から大いに疑わしい”証拠”をすぐのみ込んだ。けれども、まさにすごく大目に見る父がミーチャムの本で認めるように、チェイニーに自分の帝国を生ませたのはブッシュ大統領だった。

「彼らはやりすぎたと思います。でも、チェイニーの責任ではありません。大統領の責任です」とブッシュ・シニアは言う。

「(責任は)まかせておけ」と、息子の在任期間の大しくじりについて非難を広める彼自身の行動への当意即妙の答えで彼は付け加える。

新しいブッシュの伝記からわかってくる最も不安をいだかせる意外な新事実はことによると、チェイニーが彼の国防長官だった間、サダム・フセインの共和国防衛隊の一師団を排除するのにどれくらい戦術核兵器が必要とされるかについて彼が研究を依頼したとの、経験の豊富なほうの男の記憶かもしれない。

(事実はともかく)聞いたところでは答えは17基だった、とはいえ、もっと影響が甚大な結論はチェイニーがわかっている人物よりずっと危険な人物だったということだ。チェイニーもまたイランの地下ウラン濃縮施設に対して低核出力の核バンカーバスター弾の使用を熟慮したことは、ニューヨーカー誌のシーモア・ハーシュによる調査報道に重みを加える。
(http://www.newyorker.com/magazine/2006/04/17/the-iran-plans)
ジョージ・W・ブッシュ政権について聞けば聞くほど、もしかすると政権が引き起こした世界的なダメージはいっそうひどかったことがより明確になってくる。

http://www.theguardian.com/us-news/2015/nov/05/george-bush-sr-book-reveals-a-more-dangerous-dick-cheney-than-anyone-knew