見つけた 犬としあわせ

こころがどきどきするもの見つけたとき、それを作品にしたり、思わずなにかの形にして人に伝えたくなります。 見つけたとき感じたしあわせ感覚がひとしずくでも誰かに伝わったら、ダブルでハッピーです。

2017/03/07

お茶目で猛烈に政治的

◇“世界最悪の眺め”:バンクシーがベツレヘムの壁を見下ろすホテルをオープン

特ダネ:イスラエル人観光客(そして対話)をヨルダン川西岸にもってくることを期待してイギリス人アーティストが Walled Off ホテルを始める

Walled Off(隔てられる)ホテルは単に実用的でもの悲しくさえ聞こえるかもしれない。「世界のどんなホテルより眺めが最悪」、おまけに10室あるホテルの客室には一日わずか25分しか直射日光が当たらないとホテルのオーナーは言う。

だが、イスラエルをパレスチナ自治領から隔離する論争の的となる分離壁になかば埋もれるようにして寄り添うヨルダン川西岸のWaldorf(豪奢なウォルドルフ・ホテル)に対する応酬は、どんな贅沢な目的地より手に入れにくい驚くべきものを旅行者に提供する。

ベツレヘムのロッジは、ひとつでホテル、ミュージアム、抗議、ギャラリーみなを兼ね、オーナーのイギリス人ストリートアーティスト、バンクシー(Banksy)の芸術的製作活動と社会に抗議するすぐれた才能で圧縮される。

ホテルはおちゃめで猛烈に政治的だ。

全室がコンクリート舗装の壁に面して、幾つかの部屋は壁の向こうの丘陵の斜面に建設される国際法の下に違法なイスラエル入植地やうっとおしい詰所の眺めを得られる。

「目下、壁はセンセーショナルな話題だけど、トランプが壁を流行にするずっと前にボクは壁に興味を持っていた」と声明でバンクシーは言っている。猛烈に匿名性を守るアーティストは今から10年以上前に初めてベツレヘムに来て通行を妨げる障壁に一連の絵を残す、それが独自に観光の目的地になった。

その後ずっと、街の巡礼者と観光がベースの経済はイスラエルとパレスチナ自治領間の往来に関してこれまで以上に厳しいイスラエルの規制によってそこなわれてきた、まさに新しいホテルは雇用と訪問客の数において喜ばしい後押しを提供するものと思われる。

バンクシーの評判はずっと全室を予約済みにしておきそうだが、彼は客にはまさに自撮り(selfie)より多くのものを身につけて帰ってもらいたいと望む。「限定駐車場付、3階の狂信的行為治療法」と彼は声明で付け加えた。

ホテルはウェブサイト経由の予約で3月20日に開業を始める。たとえ訪問が法を破ることを意味するとしても、壁でふさがれる障壁をめったに見ないかまたはパレスチナの街をめったに訪れないイスラエル人が客のなかに加わることをチームは期待する。

「だれでも皆ここに来るように勧める、イスラエルの一般市民にここに滞在しに来るように勧める」とマネージャーのWisam Salsaaは言っている。「彼らに私たちについてもっと学んでほしい、なぜなら彼らが私たちを知るときステレオタイプを乗り越えてものごとが変わるからだ。」

イスラエル人はベツレヘムやそこの有名な遺跡を訪ねるのを禁止される。そしてバンクシーが公式にはイスラエル軍の支配下にある遺跡(イスラエル人にとってそこに滞在するのは合法を意味する)を選んだとはいえ、そこに至るすべての道にはパレスチナ人が支配する自治領の中を通る違法な道程が含まれる。

前は陶器製造所だったホテルには暗黒卿の植民地のテーマ、領域の歴史におけるイギリスの役割に対する承諾のしるし、レセプションとティールームがある。

空襲現場の火炎のように、コンクリートの瓦礫の山の下で暖炉の火格子のまっ赤な輝きにゆらめく火、壁のくぼみの古典的な胸像は催涙ガス弾からくねりつつ進むガスの煙に包まれる、そして伝統的な海の風景のビーチは難民が捨てたライフジャケットで散らかる。

「混沌とした結果にもかかわらず、イギリスがパレスチナを支配して家具を配置転換しだした時からちょうど100年」とバンクシーは言った。「なぜかはわからないが、イギリスが結果を完全に理解することなく政治的大決断をするとどうなるかについて反省するのにちょうどよい時の気がする。」

対話を促進するホテルの計画の一部にはパレスチナ人アーティストの作品を展示するギャラリーがある。それはベツレヘムで最初のギャラリーであり、たいてい容易に旅行できないとわかるアーティストにとってより広範囲の観衆に達する手段だとキュレーターのHousni Alkateeb Shehadaは言う。

彼はわずか5メートル離れたところに立つ障壁と接触してアートを生きいきと伝えたかった、だが結局はあまりにリスキーだと思い至った、戦闘と制限を思い出させるものがベツレヘムに住むすべての人に気味悪く迫る。「私たちは非常にこわがっている」とShehadaは言った。「兵士のせいでそこでいったい何が起こるか私たちにはわからないし、知ることは許されない。」

安全上の懸念が人々を遠ざけるとの心配をバンクシーは念頭から捨て去り、彼が数週間のあいだ魅力のないイギリスの海辺の町で“困惑した公園”を満員にしたことを指摘する。

「ボクの会計士は、かなりの人があまりにこわがってヨルダン川西岸に旅行しないと心配したが、そのとき彼に、この前の展覧会でウェストンスーパーメア(イングランド南西部ブリストル海峡に臨む町の保養地)でまる一日過ごしたことを思い出させたよ。」

https://www.theguardian.com/world/2017/mar/03/banksy-opens-bethlehem-barrier-wall-hotel?CMP=share_btn_tw

http://www.banksy.co.uk/index.html
⇧その他、ホテルの部屋の写真や窓からの眺めの写真がたくさんあります


◇これについて考慮してください:バンクシーの廃墟となったガザのためのツアー

以前にヨルダン川西岸の壁に絵を描いたストリートアーティストがパレスチナの廃墟のあちこちに一連の新しい絵を描いている(上の写真はその作品のひとつ)